黒い高まり・3

『…どうして私だけが。』 失った左目を庇う度に思い続けていた。 痛みはとうに消え去っていた。 左目を失ってからの数年間の記憶はほとんどなかった。ただ、薬品に取り囲まれたような嫌気の刺すベッドにずっと囚人のように閉じこもりだったような感覚は僅か…

黒い高まり・2

『お前がこの私を嗅ぎつけていたことは知っているのだよ。 …私はすべてを知っている。だが、紗映よ。お前はこういうことは知ってはいまい…』瀬名が白衣を床に投げるように脱ぎ捨てた。 次の瞬間、紗映も、その背後にした晋子も、この眼前の男のまがまがしい…

黒い高まり・1

『私の家庭は、至極平穏に包まれた環境そのものだった。 いつからだろう。 他人の家族を見て心が締め付けられるように感じたのは。 いつからだろう。 そしてそれさえも、ただひとつの静寂のように何も感じなくなってしまったのは。』 『紗映、 発表会は明日…

贄雫

人気の無い凛とした予期せぬ静寂に包まれたセント・ホスピタリアにおいて対峙した晋子と紗映。 だが、二人を待っていたのは待ち望んでいた患者の姿では到底無かった。 乱れた髪をふりしきって紗映は眼前の白衣の男に睨み付けるような視線を浴びせる。 男は尚…

散華

片桐と晋子の二人はセント・ホスピタリアの正面入り口へと辿り着いた。 だが、相変わらず唯の携帯電話にはまったく音信がつながる節もなく、伝達は途絶えたままであった。 『今日は学校内は入学試験のため、一般の生徒は休日になっているはず。連絡もなしに…

それぞれの受難

とある夜、 siestaの室内の明かりが僅かに外の暗やみをにじませていた。もうすぐ、室内の二十四時の時計の針が回ろうとしていた。 『さて、そろそろ室内も消灯しておくか…』 片桐が軽く外を一瞥しながら店の配電盤がある奥へと進もうとした。 その時、siesta…

水無瀬

『緑色の星の…ロザリオ…この街に売っている場所はただ一つしかない…』 『だが、あのロザリオはとっくの昔に生産中止になっていたのだよ。』 『ほう… 興味深いな。』 『親の形見を肌身離さず付けている人間などいくらでもいるだろう。』 『親の…形見なら、で…

過剰殺意

『人は、なぜほしいものが手に入らないと知ったら、憎らしく、とおざかろうとしていくんだろうね。』 セント・ホスピタリアの1Fの廊下で公衆電話で荒々しい男の声色が響く。 『遺体は…そうだ。彼に解剖の手解きをしてもらった。 昨日の患者は? 何だって、……

閉幕は藻屑の中に

『ワタシは、貴方をうるおす海のような存在でいたかった。 貴方が疲れた時にふと目を上げたら、そこに見える海のように、なだらかで、なめらかで。 ワタシは、貴方を照らす道になりたかった。貴方がひとつひとつを、ゆっくり踏みしめていけるやわらかい未来…

巡るセツナ

またこの夢だった。 いつも自分の不安を嘲笑うように誘い来る夢魔。 この変わらぬ闇に包まれた何かが 渓の心を深く食い入っていた。『なぁに?渓?』 美奈はセミショートの薄い黒茶色の髪をさらりとかきあげて渓に微笑む。 『いや、なんでもないよ。』 渓の…

あの日に帰れるなら

南は、幾度となく真冬の宵闇をかきわけるように季樹の姿を探した。 『季樹君が、いないのよ…どうして、 昨日まで、まるでうそのように身体の状態が回復して元気に話していたのに… そういえば、堀君の病室の引き出しからこんな小さな鍵が落ちていたわ。』 季…

第四の戦士、明かされた真実

『真実を知ろうとする心 その心に宿る 偽り無き想い。 例え、 きみの心が冷たく凍り付いた悲しい運命だとしても、それでも、 君を小さく想う心は忘れないと誓う。』 『時間だ。 君がこの場所で朽ち果てることで俺はただ一人目的を叶えることができる。全ては…

サトリの法

『百合の聖書に込められた残留思念… サトリの法で…』 心を無と同化させる。 瞳をそっと閉じ、百合の聖書の背表紙に手を触れる。するとどこからとまなく百合の花の幻影に伴って南の脳裏に一つのイメージが浮かぶ。 『季樹君…』季樹の姿が記憶に蘇る。その背後…

白銀の癒し手

ざわざわと外を湿った嫌な風が吹き抜ける。 この病室のカーテンの向こうの世界から、冷たい、奸なるものを美奈は感じていた。 自らの能力を悟り、生きてきてから幾つかの日々を歩んできたが、言葉に出来ない、悪い何かが、予兆のようにインプットされて脳裏…

虚構に舞う百合・3

【念次がその本を自分に託して、早一週間が経過しようとしていた。】 託されてからの数日は、何かと煩雑な日々の生活に悩まされ、また、受験の日も刻一刻と迫っていたこともありふとした契機でその本を眺める機会は無かった。 表紙には純白な百合をモチーフ…

虚構に舞う百合・2

まるで、自分だけが違う世界にぽつんといるみたい。 空虚な世界。 巡る輪廻。 たたずむ私。この世界に、 たたずむには私は余りにも異質な存在…かも、しれない。 もしも、願いが一つだけ、叶うのなら… 姉さんと、私と、パパと、ママと…4人で… 『……っ!』 夢…

虚構に舞う百合・1

喫茶siestaの街角、何時もの変わらぬ定時に店を開けようとした矢先、片桐は入り口にぽつんとたたずむ一人の少女を見つける。 『南?』 南は、そっと何かをつぶやいた。きっと、叔父さん‥とぼそりとつぶやいたのであろう。しかしその声色は余りにも脆弱であっ…

清らかな嘘

晋子は、自宅の電話から南の携帯電話に朝から何度も着信を入れる。 反応はない。 留守番電話にすらならない。 『‥そういや、さっき、南が持ってた電話は損傷があった。 まさか‥』 着信が無い以上南からの連絡を待つしかない。 晋子は途方に暮れていた。『晋…

振り向く牙

『みなと…みなとっ!湊‥‥っ!』 湊は南の言葉に全く動じることなくゆっくりと静かに南に近づいて行く。 今の今までは敵と認識した存在にはその力を躊躇することなかった南が、今、自分の身寄る者である湊の前ではまるで現実を認識できぬまま、怯えた人形のよ…

銀の雪・2

美香はどこか途方に暮れた表情で職員室の外を見つめる。 『‥先生?』 先程紗映の外をふと通りすがった一人の少年がいた。紗映は、どこかで彼の存在を見たことがあるような気がした。 『顔色がどこか優れないですね。先生。 今朝の花壇の一件を気にされている…

銀の雪・1

『紗映。お前は自分の信念をもって生きるのだ。 よいな、紗映、惑わされるな。踊らされるな。 …ただ、自分だけを信じ、さすれば、その先にやがて光さえ見えることも叶おう。』 父の最後に残した言葉だった。 物心がついた時には、自分は家族というものがいた…

呪殺

紗映は放課後、美香の待機する職員室に向かい、場所を移し昨日の会話の補足を話し合っている途中であった。 『仮初めの術法‥でも、どうして? それほどまでに強大な力が必要なら、vanityが直接駆り出して来ればいいはずじゃ‥ こんな手法はあまりにもまわりく…

空蝉(うつせみ)

週末、美香は紗映にある場所へと連れて行って欲しいと頼まれ、私服姿で未里市の小さなバス停へと足を運んだ。 次のバスの到着を待つ途中、ふとした会話を紗映は美香にこぼした。『先生、先生は全てを犠牲にしてでも、 運命と、戦う勇気がありますか?』 唐突…

隻眼の少女・2

美香は紗映を連れて晋子が待つ館の一室へと向かった。 既に時刻は夜の十二時を廻っており、凛とした静寂が場を支配している。 『…美香かい。遅かったね。』 『遅かったねって、それは私の台詞よ。 いい加減携帯電話の一つぐらい持てばいいのに。』 『磁場は‥…

隻眼の少女・1

『もう…わかるって…?それは、一体‥』 闇夜の、人影のいない漆黒に等しい夜の静寂に二人の微かな声色が脈動する。 理解に苦しむ表情を見せる困惑の美香をたしなむように、紗映は軽くうつむいて話の続きを綴り始める。『いつか、誰かに本当の真実を打ち明けた…

その右手に握るものは

時期はやがて薄暗く冷たい闇夜を待つ冬が眼前に近づこうとしていた。美香は安い酒を呷り、まるで泥のようにうつむいて眠りに就いていた。 意識を僅かながらに取り戻し、晋子の自宅に電話をかける。だが、数秒間の機械的なコールが虚しく鳴り響く中、美香は携…

泡沫の海

伊達の死から早一ヵ月が過ぎようとしていた。 数多多くの生徒達は先月の青華祭の悲劇をやがて思い起こすかもわからぬ過去のものへとしまい込もうとしていた。 学園の前に連なる坂道から一組のグループの会話が伝わってくる。 『あの子、本当に伊達先生のこと…

過去と、彼方に眠るもの

『ずっと、ずっと遠い彼方の果てで、 感じていたよ。冷たくはかない力を。 月島、南‥ 君は、強くはかない者。その笑顔の下の闇にある、冷たく荒んだ姫の双眸。 葵‥君もみているかい? 君の妹の、真の姿を‥』やがて、彼女は君を超えるかもしれないんだという…

晋子、真実へ‥

『占い…なぜ、宮内君がそんなことを?』 宮内の行動が何を示していたのかは知る由もない。由香里との関係の先を何か別の指標によって見いだそうとしていたのか‥ 『いや、そんなもんじゃなかったってさ。隣人の親父さんが言うからにはどこそこの借金の取り立…

心の障壁

何時もの登校の最中、唯は他の生徒より早く登校していた。 校庭のそばにある花壇に水をやるのが今では唯の学業の他にやるべき日課と化していた。 いつからだったはよく覚えていない。 ただ、その日課はいつでもある日常に何かを添えるものとして定着するに至…