空蝉(うつせみ)

週末、美香は紗映にある場所へと連れて行って欲しいと頼まれ、私服姿で未里市の小さなバス停へと足を運んだ。
次のバスの到着を待つ途中、ふとした会話を紗映は美香にこぼした。

『先生、先生は全てを犠牲にしてでも、
運命と、戦う勇気がありますか?』
唐突な言葉であった。
話の先は見えない。ただ、紗映がこぼした言葉と表情に一寸の、強く、淋しい何かがあふれていた。


そして、たどりついた場所。草むらに囲まれたその場所はイズミの墓地であった。
『‥‥』
沈黙が流れる。まるで紗映のその場の存在がイズミの墓の卒塔婆に共鳴しているかのようであった。
『イズミ…』


イズミと初めて紗映が出会った場所。
深夜の静寂に包まれたバス停に1人。たたずむショートカットの少女。
その姿は無垢な瞳の奥に眠る深い孤独に包まれていた。
思わず、紗映がイズミに一声をかける。
『もうバスはとっくにおわってるわよ。
こんな所で、何をしているの?』


『保護者面?
ほっといてよ。』
イズミはそそくさとその場から去った。
そして、翌日。

『‥あなた‥』

『ごめんね、私も暇人なの。
…飲む?』



両手に握られた二つの缶コーヒー。
『ジャッカル…?
めずらしいわ。私以外の人になつくなんて。』
紗映の足元からひょっこりと飛び出した子犬がイズミの膝元になつくように振る舞う。

『‥うわっ!もぉ、なんなの‥』
『くすっ、あなたもそんな風に笑うのね。』

出会いはふとした小さな出来事の中から。
だけれども、それは必ず逃げられない運命の輪を伴って世界を支配する。
いつしか、二人はそんな小さなことで笑いあう関係となっていた。
『パパが、変わってしまった‥いないはずのお母さんを探すって‥
もう死んでしまったお母さんを、いったいどこに探しにいこうとしているの‥』

虚栄の、塔。
父は、そこに入り浸っている。
母を、見つける為に。

そして、訪れる別れ。

『虚栄の塔‥パパは、そんな‥あなたも?
い、いやあああっっっ!』
紗映は幼少期、両親のいない孤児となり、信仰組織、虚栄の塔で育てられたことをイズミに話した。
だが、結局それはイズミに自らを不信へと導く結果を誘ってしまう。
ジャッカルの無邪気なほほ笑みがイズミの元に訪れる日はなかった。
『……っ!』
そして、半狂乱と化した伸の凶刃によって倒れたイズミ。

時は無慈悲に刻まれる。
だが、それは、紗映をさらに絶望に追い込む為の一つのシナリオにすぎなかったとしたら。
『知られたくなかったんですよ。
あの時には。
先生、あなたが、昔失った友。東城さんのように。』
東城‥?
美香な背筋が冷たい何かに支配されるように凍り付く。
『虚栄の塔が、


もし、11年前を境にまったく新たなる信仰と教義を持った組織にすりかわっていたとしたら、どうしますか…?』
『何故なら、vanityと呼ばれるものは過去には存在してはいなかったもの。いてはならない存在でした。
だけど、11年前の事件から何かが誤った方向に自然と導かれていったんですよ。』

イズミ、貴方は‥いや、これから始まるであろうもっと恐るべき出来事に比べれば、貴方がそれを見ずにこの世を去れたのは、むしろ‥

と、思ってさえいた。
だが、美香の、そして美香を取り巻く周りの仲間達に紗映は何かを感じ取っていた。
彼女たちなら、もしや‥と。
それは、決意であった。組織に意のまま取り込まれる事はすでに自らの人生を全て人形と化したくぐつにしてしまうことに等しい。

だが、紗映にはそれは出来なかった。
『東城怜奈の正体は、何者かが強い触媒を使って未里市に強い結界を張っている。
思念体です。

もうすぐこの未里市を主軸に強大な儀式が行われます。vanityの手によって。
『それが、仮初めの術法というもの‥?』

『‥はい。』
『その儀式が行われると、この街に何が起こるというの?』
『それは、私にはわかりません。
ただ、おびただしいほどの血の犠牲が出る事は確実です。
だから、止めないといけない。
それが、私の復讐だから。』
『復讐‥?』


『ごめんなさい。突然に羅列していない事を箇条書きで話してもまよってしまいますよね。
ここから先は、また私一人でいくことになるから。』紗映が軽く両手を合わせてイズミの墓前から立ち去ろうとする。が、その寸前、美香が紗映の体をかばうように止めた。
『これ以上、どこに行こうと言うの‥あなたは私の大切な生徒の、教え子の一人なのよ!



そんな、どうしてそう易々と命を粗末にしようとするの‥!
イズミに、由香里‥それで、紗映、あなたまで‥』



『私のことを心配してくれているんですか?
大丈夫ですよ。先生。
私は、そう易々と殺されたりなんかしませんよ。
華奢にみえても体力には自信があるんですからね。』
そう言う次元の話ではないことは重重承知している。だが‥
『私、全てが終わったら、先生にピアノを教わりたいんですよ?
こう見えても年頃の娘なんです。花嫁修業の一つぐらいただでさせてもらってもいいですよね?』
『バカ‥もう‥』
紗映がふいに笑う、美香もつられるように涙目に笑顔を無理につくって返した。
翌日、紗映は休学届を解除し青華学院の生徒へと復帰した。