黒い高まり・2

『お前がこの私を嗅ぎつけていたことは知っているのだよ。
…私はすべてを知っている。だが、紗映よ。お前はこういうことは知ってはいまい…』

瀬名が白衣を床に投げるように脱ぎ捨てた。
次の瞬間、紗映も、その背後にした晋子も、この眼前の男のまがまがしいほどの妖気に気付いた。
『こ、この妖気は…
この男は、憑かれているのか…』
『そうではない。

今この肉体にあるよりしろは命ある闇。

そして、君達2人はこの場所が墓場となるのだ。』

瀬名が紗映の方向に掌をかざし、何やら怪しい言霊のような言葉を繰り出す。
次の瞬間、病室の間に紫色に近い霧がじわじわと生命の脈動を奪うように空気に絡み付いてきた。
『命ある闇の息吹。
vanity様がもたらした闇が世界を包む。
信じるものは救われ、ただ敬虔な祈りだけが正しい世界へと確かに導く鍵となる。


あの少女を触媒としてな…この野望、誰にも邪魔はさせんぞ!』
紫色のまるで濁った血のような霧が紗映の体をじわじわと毒のように侵食する。『ううっ…! はっ!?』

それは一瞬の間であった。瀬名の肉体の一部に劇的な変化が起きていたのに気付いたのと、瀬名の斬撃が紗映を襲ったのはほぼ同時であった。
ザシュッとした、肉と肉が千切れる音が響く。
『ぐふっ…そ、そんな…』
余りの跳躍に満ちた鋭い一撃に紗映はその身を防ぐことができずに一撃を受けてその場に倒れ付した。
『紗映!』
『邪魔だ。老婆め。貴様から棺桶に閉じ込めてやってもよいのだよ?』
『……!』

紗映はその場から立ち上がれず動けないままであった。晋子の瞳が瀬名を凝視する。
一瞬の間隙の後、晋子もまた数珠に念をこめて詠唱した。
瀬名の身体は念から生じる衝撃波を受けた。だが、その念にたじろぎもせず瀬名は晋子にも斬撃を見舞おうとした。
『…おばさん!逃げて…逃げてください!ここは私が!』
紗映が晋子を逃がすようにうながす。だが晋子は退かずに紗映と共に眼前の闇に精神を支配された男と共に立ち向かおうとした。
『…その、妖気。あんたはもしや、マリスの妖気にとりつかれているのかい?
あんたの肉体から、まるで何かに共鳴するような恨み、怒り、哀しみがさまよえる恐怖のように伝わってくる…』
『…その通り。
この力は闇にその身体を馴染ませた者でないと意味がない。
他者の命を司る者が自らの命をも、闇と馴染ませてその力を超越させられる。

そして、紗映。お前を殺す前に聞き出しておかねばなるまいな…
お前は、知っているのか?』


紗映は口元にうっすらとにじませた血を浮かべ嘲るように瀬名をみつめる。
『…ふふっ。』

『貴様は、持っているのだろう。
この儀式を成功するために必要な…力の…を。
少女一人ではたりないのだ!たりないんだよ…だから、マリスが必要だったのだ…!さぁ、紗映。教えるのだ。
返答次第では、…お前だけは生かしておいてやらんでもない。』






『今だ!』
紗映が瀬名の会話の終結を見計らって瀬名に上着の下に潜めていた暗器で瀬名の右腕を突き刺した。
『ぐあぁっ!』

『おばさん!今よ!』

瀬名が一瞬のよろめきを見せる。瞬時に数珠からこめられた力で晋子は波動を込めた。
『…その力は、冥なる刹那の、儀式のよりしろ。
となると、vanityが狙っているべきことはもうわかったわ。
そして、貴方は…うあああっ!』
紗映が力を込めて握った暗器で瀬名の急所となるべき頭部に重い一撃を加えた。
『ぎっ…がああ…はあっ、はあっ』
瀬名はその場に崩れた石像のようにうつぶせに倒れた。

『あの世に向かった魂を、呼び戻そうとしている。』『それは次元を超えた力を触媒にしたもの。
私のペンダント、パパがくれた肌身離さずにもっている形見。
パパの手紙にあった。

この形見は、パパそのものに等しいもの。』


『おばさん、あの部屋に戻りましょう。
美奈は、きっとそこに…!』
二人は病室を後にした。

だが、次の瞬間、晋子と紗映がまるで隔離されるように病室の扉がしまった。紗映は何かに足をひきずりこまれ、その場に転倒した。
『き、ぎ、ぎ、ぎざま…この私がら…にげられるとでもおもっているのがぁぁぁぁぁぁっ!』

瀬名の瞳が妖しく息吹を取り戻したかのように光る。
『がぁぁぁぁっ!』
瀬名が金切り声のような声をあげ、紗映の腹部に致命的な追撃となる斬撃を加えた。
床に紫の霧と混じった朱色の血が無残に飛散する。