あの日に帰れるなら

南は、幾度となく真冬の宵闇をかきわけるように季樹の姿を探した。
『季樹君が、いないのよ…どうして、
昨日まで、まるでうそのように身体の状態が回復して元気に話していたのに…
そういえば、堀君の病室の引き出しからこんな小さな鍵が落ちていたわ。』
季樹を担当していた看護婦が小さな鍵を手に取った。『これは、未里駅の近くにある陸橋の下のコインロッカーの鍵じゃない?
この病院に来るまでの道にあるわ。』
松室と婦長の話を聞くや否や、南はすぐさま病室から飛び出すように駆けた。
『ちょっと、南!』
松室の呼び掛けにも反応せず、南は駆ける。額には我を失った湊に焼却炉へと落とし込まれた時に出来た小さからぬ切り傷がある。
ろくに手当てもしないまま三日三晩、siestaにも戻らずこのうつろう景色の街をただ、ひたすらに捜し回ったせいか、痛みと化膿がひどい。
力の代償…その痛みが伝えられない彼への想いの罰のようにも南は感じられた。
『そんな傷で、貴方今までうろうろしていたの?
外に出歩くなんて危険よ。傷口からばい菌が混入して大事に至ったらどうするの?南っ!』
松室の声はただ廊下に虚しく響き渡るだけであった。
一方、美香は学園への近道となる途中の帰路にさしかかった処であった。
いつもなら夜の九時を過ぎれば街灯のライトだけが夜の細道を静かに照らしている。
だが、その道の途中、ちょうど何らかの廃棄物を処理する為にわざと道に奥行きをもたせたのか、行き止まりらしき場所に別れる小道がある。
そこから、微かにではあるが人のうめき声みたいなものがした。
『せ…ん……せ……い…』いったい何があったというのか。
美香の脳裏に最悪のビジョンが映し出される。
これまでに起こった惨劇をまるで嘲笑うかのように
美香の心を弄ぶ魔物は未だこの街にいる。
そして、誰彼知れぬ奥底の地で彼女達の崩壊を悦びながら待ち望んでいると言うのだろうか。
『………っ!』
一瞬目蓋を閉じて外界からその視界を消す。
そして、瞳をうっすらと開きながら小道の奥へ美香は歩み始めた。
奥に一歩、また一歩すすむと鼻に突く酸味がかった焦げた臭いが周囲を支配する。
そこには、教え子の無残なる肢体が転がっていた。
『そんな……』


『先生…せ、せんせい…
ゆるし…て…』
それは直視に堪え難い裂傷であった。
口元が真っ赤に内出血の血に染まり衣服を浸食しており、その息は酸素を必死にむさぼるように荒い。
『しゃべらないで…
大丈夫、貴方を、ワタシの大切な生徒を、
もうこれ以上死なせたりしない…!』

数分後、路地の表側まで美香は血にまみれた念次の肩を抱きすくめる。しかし、激痛にまみれる念次は精神をも浸食しているのか、まるで自分を失ったように激しくその場で暴れ始めた。
『ぐあああああっっ!』
『駄目!動かないで…!市川君っ!』

美香は自分の両手で強く暴れまわる念次の肢体を抱きかかえた。
これでさえ今の彼にとっては甚大な痛みを伴うのは明白であった。
だが、なぜかその行為に何かにほだされるように念次の身体は動き終えた人形のように静止した。
美香はすぐさま晋子に連絡をつなぐ。
十数分後、晋子の手配した救急車により
セント・ホスピタリアに運ばれた念次は緊急治療室へと運ばれた。