振り向く牙

『みなと…みなとっ!湊‥‥っ!』
湊は南の言葉に全く動じることなくゆっくりと静かに南に近づいて行く。
今の今までは敵と認識した存在にはその力を躊躇することなかった南が、今、自分の身寄る者である湊の前ではまるで現実を認識できぬまま、怯えた人形のようにただ小さく震えていた。『湊‥っ!』
『南……』
南の脳裏にその時一人の少女の群像が過る。
『由香里……っ!』

守れなかった想い。
友となるべき者。
寄り添う人を失う悲しみ‥だが、それらは悲しい現実の前には脆くも崩れ去る一介に過ぎない。
『お願い!目を覚まして!』
南が何かを唱えた。
精神を共鳴させ、祈る一つの言葉。彼女の力が見えない波動のように外界を連鎖し、湊の体を止める。
『………っ』
一瞬、何かが弾けるような微々たる音と共に湊が静止した。
正気を取り戻したのだろうか。
『み、湊…』
『ねえさん、わ、私‥私‥』
南は、思わず湊に駆け寄り軽く安堵の表情をこめて湊を抱き締めた。
『姉さん?え、えっ‥』
当の本人は何もまるで覚えていないようであった。


湊の瞳は清々と生気を取り戻していた。
『よかった…』
それから、幾らかの時間を費やした後で、南は湊と別れた。



『叔母さん‥さっきの電話、急に、どうしたの‥?』館に戻ってきたその夜、南と晋子がお互いに会話を交わしている最中、南は晋子の真剣な表情に戸惑いを隠せずにいた。
『南、‥湊には、会ってきたのかい…』
『うん。』
南は素っ気ない返事で返した。
『南…

彼女の様子にどこかおかしいものは感じなかったかい‥』
『…なかったよ。どこも。』

『なんだって、そんな嘘をつくんだい!南っ!』
南の四肢が何かに痙攣したかのように打ち震える。
晋子は言葉を続けた。
『湊の両親は、海外に出張に出かけていたとばかり思っていた…
だが、違う…
湊の両親は殺されている。1年前に、…ね。南。
この意味がわかるかい‥?』

『……』
『だとしたら、疑うべきものはあるだろう、南…』

『い、いやよ…いや…力なんて、もう使いたくないの…いやぁっ…!』
南は顔を覆い逃げるように館を走り去った。
『南っ!』
晋子はすぐさま後を追ったがすでに南は通りの人込みに紛れた後であった。
『これも、運命かい…
だが、降りかかる火の粉は払わねばなるまいよ。
南の、そして、まだ見ぬあいつの姉貴の為にもね…』