それぞれの受難

とある夜、
siestaの室内の明かりが僅かに外の暗やみをにじませていた。

もうすぐ、室内の二十四時の時計の針が回ろうとしていた。
『さて、そろそろ室内も消灯しておくか…』
片桐が軽く外を一瞥しながら店の配電盤がある奥へと進もうとした。
その時、siestaの黒電話に何かを告げるかのような警報にも似たアラームの音が室内に響き渡った。
『あぁ、喧しい喧しい。ったく、いい加減このオンボロ電話も買い替えの時期だな…まったく。』

『…はい、片桐。ん?唯ちゃんか。どうした?
こんな夜中に…』
次の唯の寒さとは違う凍えた声に、片桐は言葉を失った。




電話をそそくさに手元に戻し、片桐はsiestaを後にした。
目指した場所は晋子の館であった。唯の電話から告げられた言葉は、
一昨日の南の失踪、そして南の行方を捜し求める道標を探すための法術の数珠を取りに行った晋子が夜になってもセント・ホスピタリアに戻って来ていないことであった。
故に、片桐に晋子を連れてくるべく、連絡を取り繋いだ次第であった。
唯から取り次いだ電話から約三十分後、目的の館に辿り着いた。
館は一抹の電灯もついてはおらず、凛とした暗闇をそのままに現実に体現していた。


『片桐だ…婆さん?いるのか?
いるなら、返事してくれよ。』
『婆さん…?』

館の入り口奥の広間のほうから、冷たいすきま風が吹き込んでくる。

そして、僅かに感じる人の気配。
晋子は広間のテーブルに両手を宙にぶらつかせたまま、ぐったりと倒れていた。
『婆さん…っ!』
俯せになっていた晋子は気を失っていた。
片桐の呼び掛けに手をぴくりと動かし、反応を示す。『‥う…、や、奴は…いったい…』
『奴?だって…?』




翌朝、
片桐は晋子の館で珈琲を煎れていた。晋子は昨夜の記憶に曖昧で混濁としたものを感じていた。


その原因は、今や移ろう存在と化した一人の少女、堂島湊の存在であった。
『それで、その堂島湊という女の子は、何者かに脳を洗脳されて、虚栄の塔の下僕となっているわけか…

だが、なぜだ?婆さん、あんたがいってた曖昧で混濁としているものとは、何なんだ?』

『あれは、湊ちゃんじゃない…
何者かが、堂島湊になりすましているとしか思えないんだよ…』
『馬鹿な…
それでは、その本物の女の子は今どこに?』
『偽物をこしらえる事ができたのなら、本物は必要ないだろうよ…
そしてそれは紗映が、言ってたことにあてはまる。
あいつだよ…
あいつこそが、WALD LITTERだ。間違いはない。虚栄の塔の根源へ繋ぐ元凶さ…ぐっ、身体に力がうまく入らないね…
あと、婆さん婆さんて失礼だよ。私はまだ五十代だっての、ったく…』
『その皮肉が言えりゃまだまだ大丈夫だな。
しかし、過去を振り替えると、摩梨香の幻影をけしかけた能力者の奴も、すべてはこれに起因するのか?
なぜだ…



何故この街だけがこのような数奇な事象に侵されているというのだ…』
晋子は瞳を瞑り思念する。過去の、現在のつなぐすべてを総括して思い出した時、一つの説のような推測が浮かんだ。
『マリス…憎悪…
かなえられなかった想い、報い。
それを依りしろにした儀式的術法。
それは、…リーインカーネーション…!』

その対象となるものは何か、必死に晋子は考えを張り巡らす、しかし如何に思年を何重に張り巡らせてもその解ははぐらかされたままであった。
『虚栄の塔が狙っているもの…
それは、マリスを使った儀式による世界の再生なのか…
確かに、過去に青華学院において死んだ伊達は、学院の生徒を道連れにして桃源郷の再現を計ろうとした…
結果、その稚拙で未熟なるな想いは不完全なまま崩壊の一途を辿った。
しかし、あの後美香に見せてもらった、ファイル…
ファイルは…』

片桐がコーヒーカップを片付けている最中、晋子にそっと一言助言を添えた。
『その虚栄の塔が、信仰するものが再生だとして、世界をただ再生させるだけなのか?


世界を再生させたとしても人までは容易く変われはすまいよ…』

『まさ…か…』
能力者を触媒として死した魂を復活させる儀式だとしたら?
“世界の再生は、魂の再生によってなされると言うのか?〜
『馬鹿な…唯ちゃんと、美奈ちゃん…あの場所に、あの病院に昨日まではなかったどす黒い邪気を感じる…
まさか、あの湊が…』
『用事ができたな。
sisetaの暖簾は今日は下げておかねばな。』

二人はそのまま早急な姿勢でセント・ホスピタリアへと向かった。







正面玄関。
いつもは平日の市井、陽なたぼっこ代わりに外にでているいつもの顔触れらしき入院患者の常連の姿が見当たらない。
確かに今日は昨日一昨日とは打って変わって外は二月を彷彿とさせる寒波が吹き荒んでいた。だが、それにしてもこの尋常ではない静観とした雰囲気は不自然な空間そのものであった。