2008-01-01から1年間の記事一覧

ノーザン・スノウ・3

喫茶Siesta。 聖夜の鐘がどこからともなく鳴り響く目覚ましい朝の景色を見つめながら、店内では幾人の男女が開店への準備を整えていた。 『体調のほうは大丈夫なのか? まだ仕事とかできる調子じゃないんだろう。美奈。』片桐が後ろを振り替えるとそこには青…

ノーザン・スノウ・2

闇夜の静寂に不意に一通の着信が届く。 『…はい。』 相手は、私よ。と一言つぶやいてそれから毎度の癖のようにクスクスと電話口に向けて微かな笑みを覗かせた。 『仕事が早いわね。さすが泣く子も黙る羅刹の名は伊達じゃないわ。黄偉強。 貴方をそばに迎えて…

ノーザン・スノウ・1

沈黙に包まれた部屋の外から、一人の男の気配がした。 コン、コンと軽く鉄製の扉を叩く音がする。覗き口から見える男の視線は見覚えのある男のものであった。『吉田。』茗荷が署内の渡り廊下へそっといざなう。 『拘留期間は終了した。 証拠不十分で貴殿を釈…

魔女の余裕・5

署内の深夜の廊下は静寂とした空気が流れていた。 この時間だと周囲の住宅街からの喧騒もさして響くことはない。もっとも、繁華街からわずかの距離を置いた立地の場所だけに署内の回りで騒ぎを起こして羽目を外す空気もそうは起こらないのかもしれない。廊下…

魔女の余裕・4

『幸せになるための条件を教えてくれだって? ならば、過去を気にする必要はあるのかい?』『…何、いい加減参ってきた? うふふ。何を言うのかと思えば。それが現実じゃない。』周辺の人の気配の察知を怠ることなく、自分の気配を極限にまで落とし込めて電話…

魔女の余裕・3

今日の日付がもうすぐ終わりを迎えようとしていた。 宴は終わる。 甘美なる歓声と酒の匂いに満たされた空間の中で、悟流は配膳されたグラスに年代物と思しきワインを注ぐ。ちらりと悟流は窓際を眺める。 外の雨の具合はよく見えない。ただ、窓に軽く打ち付け…

魔女の余裕・2

夜は次第に更けていきその深さを増して行った。 だがこの入り口の扉を開くとそこは甘美なる楽園に連なる宴が形成されていた。悟流は新聞を読み耽って受付の退屈な時間を潰す。もっとも二十二時を過ぎたこの期に及んで受付の仕事がかさむわけでもない。 名簿…

魔女の余裕・1

ひどくその日の夜は寒かった記憶を覚えている。 まるで冬が未だ見ぬ春の訪れを引き止める意志を伝えようとしていたかのようであった。彼女にどんな内容のメールを返したのは覚えていない。 言葉を選んでいる余裕すらもなかったのであろう。 ただ、その日の夜…

月燭蝶・5

夕暮れ前の日が欠ける空が微かに窓際の隙間から見える。 何となく時間を潰すつもりが気付いたらこんなに経っていようとは悟流の想定外であった。 『あと一時間か。』 テーブルには作り置きのパスタが置かれている。 慌ててこしらえたものなのかはわからない…

月燭蝶・4

『明日の天気予報ですが、先日より関東地方に停滞した低気圧により‥』 一人、悟流はTVをつけたままベッドに身体を預けていた。 『財布、買い替えないといけないな‥金はともかく、あれにはツレの文に明日の為に頼んでいた親睦会用の花束の受注書が… 仕方ない…

月燭蝶・3

いつもの場所に、彼女はいた。 何か目的があるわけでもなく、一人防波堤越しの海を見ながら黄昏ている。 『どうしたの?』今さっき見えた奴等の姿は幻覚だったのだろうか? 見間違いをするほどまだ視力は衰えてはいない。冗談も過ぎる話である。 『い、いや…

月燭蝶・2

路地裏で闇に紛れて男達の談笑が漏れる。 『まだ見つからないのか?』 『はい…』 『馬鹿が。事は急を要する。vanity様の怒りを買う気か?』 『いえ。膳立ては既に揃っております。 仮初めの術法を必ずしやこの世界で成就させるために。 しばし、神よ。両眼を…

月燭蝶・1

冬の風が強く揺れなびいている。 まるで何かが悲しみを伝えるように。 そしてまさかの通り雨。 都心のネオン街にたむろう人々は急な雨に戸惑いを隠せぬままざわついていた。『まったく、誰なんだ…今日は一日晴天なんて行った天気予報は‥』 急な通り雨の中、…

エンゼリック-アクトレス・1

『早過ぎる夜を待つ』 男を愛した季節があった。 男を見守った少女がいた。 泰星主演、そしてこの映画のヒロインを演じたのは若林早夜であった。『ただ、何かを、誰かを好きになった証をこの世に残したくて。』 『これが、貴方とすごす最後の日。』物語は、…

この今日の理由を

身体中に痛烈な痛みが走る。 静寂な一室に空気を汚すような血の臭いが充満する。限界は間近であった。 意識が混濁する。 かつて人であった者、いや、人である者を捨てたと言った方が正しい狂った白衣の男が植え付けた傷跡が、ひしひしとその痛みを増していく…

黒い高まり・3

『…どうして私だけが。』 失った左目を庇う度に思い続けていた。 痛みはとうに消え去っていた。 左目を失ってからの数年間の記憶はほとんどなかった。ただ、薬品に取り囲まれたような嫌気の刺すベッドにずっと囚人のように閉じこもりだったような感覚は僅か…

黒い高まり・2

『お前がこの私を嗅ぎつけていたことは知っているのだよ。 …私はすべてを知っている。だが、紗映よ。お前はこういうことは知ってはいまい…』瀬名が白衣を床に投げるように脱ぎ捨てた。 次の瞬間、紗映も、その背後にした晋子も、この眼前の男のまがまがしい…

黒い高まり・1

『私の家庭は、至極平穏に包まれた環境そのものだった。 いつからだろう。 他人の家族を見て心が締め付けられるように感じたのは。 いつからだろう。 そしてそれさえも、ただひとつの静寂のように何も感じなくなってしまったのは。』 『紗映、 発表会は明日…

贄雫

人気の無い凛とした予期せぬ静寂に包まれたセント・ホスピタリアにおいて対峙した晋子と紗映。 だが、二人を待っていたのは待ち望んでいた患者の姿では到底無かった。 乱れた髪をふりしきって紗映は眼前の白衣の男に睨み付けるような視線を浴びせる。 男は尚…

散華

片桐と晋子の二人はセント・ホスピタリアの正面入り口へと辿り着いた。 だが、相変わらず唯の携帯電話にはまったく音信がつながる節もなく、伝達は途絶えたままであった。 『今日は学校内は入学試験のため、一般の生徒は休日になっているはず。連絡もなしに…