過剰殺意

『人は、なぜほしいものが手に入らないと知ったら、憎らしく、とおざかろうとしていくんだろうね。』


セント・ホスピタリアの1Fの廊下で公衆電話で荒々しい男の声色が響く。
『遺体は…そうだ。彼に解剖の手解きをしてもらった。
昨日の患者は?
何だって、…傷口の内部から敗血症を起こしているだと…
何と言うことだ…
彼が息を引き取ってしまったら、すべての手がかりは失われてしまうというのに…』




目的のための手段がいつしか、手段のための目的となる。
この絶望もまた似たものに過ぎなかった。
廊下で松室が待機していた。松室は平静な態度を装うかのように不慣れな煙草を口に加えて馴らしていた。『余裕の表情だな。
それとも、なんだ。もうあきらめきっているのか?』『口の裂傷がひどすぎる。手術でなんとかできる次元じゃありません。
普通ならあれだけの衝撃を受けた時点でショック死してもおかしくはないでしょう。


今の今まで生きていることは、奇跡に近い。』
『不躾な発言だな。
瀬名も、君も…
患者の必死に生きたいと思う気持ちを汲んだことはあるのかね?』
『彼女のカルテ、貴方は読んだことが?』
松室は話を受けそらすように、問い掛ける。
『…これですよ。
御覧になりますか?』

外科室院長の山室がそっと松室が取り出したカルテを一瞥する。
『な、なんだこの症状は…この写真は…』
『彼女はあくまで17才です。それをゆめゆめ、忘れることのないように…』
そう一言、言い残し松室はその場をすっと離れた。



『当の本人は…
未だ気付いていないというのか…』
山室の顔が苦悶に満ちる。
一方、美香は晋子と合流し事の状況を語り合っていた。
そんな最中、美奈の病室にいた唯が表情を凍らせて2人の元に駆け付けた。
『先生…おばさん…!
南が…!南がっ!』

唯が手元にあった朝刊を慌てて美香に手渡す。
『…堀君…、そんな…』

美香は手元に受け取った新聞紙を取るや否やその場にぱらりと落としてしまう。
『堀君…貴方まで…なぜ…』
朝刊には青華学院生徒・謎の変死と見出しに印されていた。なおさら堀財閥の一人息子となれば話題につきるものがない。
そして、朝刊の最終項には堀季樹と最後に立ち合っていたのは同じ学園の女生徒の一人ではないかという憶測が記載されていた。
『この…女生徒ってまさか、南の、南のことじゃ…

こんな、こんなのってないよ…
南はいつも私に堀君のこと話してた…
私は臆病だからもっと他人と打ち解ける努力をしないと唯に愛想尽かされちゃうかもねって笑いながら私に話してたっていうのに‥なんで‥!』
『力を押さえきれなくなったというのか…馬鹿な、南に限ってそんなことは…』晋子は思慮をめぐらせる。『やっぱり…私が、私があのとき止めるべきだった…力付くでも、南を…!』
『やめな。
そんなことをいまさら言っても始まんないよ。
唯ちゃん、美奈ちゃんの容態はどうなんだい?』

晋子が真剣な眼差しを唯に向ける。唯は少し戸惑いながら喋りはじめた。
『今は、容態が安定してるのか薬を飲んで寝てます。でも、紗映は、気をつけて。と私たちにいってた。それがどういう意味なのかはわからないけど…』
『私が、南を探しにいきます。伯母さま。』
『いや、美香。貴方はあの青年の元にいておやり。
敵は先手先手を打ってこちらの行動を先読みしてる可能性があるんだ。また何かしら単独でうろつきまわってたらそれこそ敵の術中だよ。』
『じゃあ、美奈のそばには引き続き私が…』
『その必要は、ないです。』




『…美奈!』
一同の視線がパジャマ姿の美奈に集中した。
『虚栄の塔が狙っている本当の存在は、私ただ一人。だから、私に関わるからみんなが災いに巻き込まれる。だから‥私は一人でいい…
そう、一人で…』
唯が言葉をさえぎる。
『何を言ってるの!
いまさら…いまさら、そんなことができるわけないでしょ…美奈。私たちは仲間なんだよ!』
『…死ぬのよ。』
美奈が返した一言はあまりに単純で重い一言だった。
『仲間を、友達を見捨てることのほうが、私にとってはもっと辛いんだよ!

南だって…藍里や紗映、美奈…おばさん、みんな、みんな大切なんだよ。私にとっては。』
唯の半ば怒りに満ちた感情が言葉の波に連なる。
『…ありがとう。唯。

先生。
先日この病院に運ばれた彼は…?』
『市川君?…この階段降りた地下の病室よ。もっとも、面会謝絶だけど。』
美奈はその言葉を聞くとゆっくりとした足取りで病室へと歩き始めた。