白銀の癒し手

ざわざわと外を湿った嫌な風が吹き抜ける。
この病室のカーテンの向こうの世界から、冷たい、奸なるものを美奈は感じていた。
自らの能力を悟り、生きてきてから幾つかの日々を歩んできたが、言葉に出来ない、悪い何かが、予兆のようにインプットされて脳裏を過る。
『今日は、どうしたんですか?』
『急患よ。それも重度のね。』
美奈が宿直の看護婦に事情を伺う。しかし、看護婦はさもバツが悪そうに事をはぐらかそうとしていたのが美奈には見てとれた。



数時間後、
寝静まった病室にドン、ドンとドアを叩く物理的な音が響いた。
美奈はわずかに寝入っていた途中であったが、その音は次第に何かを訴えるような強い意志の音に変わっていた。
『うぅ…うわぁぁぁぁ!』美奈はその音を感知するように自分の病室の扉を開ける。
ヒトの気配は無い。
何処かに向かっていったのだろうか?
しかし、その寸前青年らしき男が何らかの声を出していたのを美奈は見逃さなかった。

しばらく美奈は廊下を散策すると、この階の最奥にある小さい医務室らしき場所で、何やらひそひそと話し声が聞こえる。
『先生…たすけ…たすけてください…』


先程の声の正体の彼かは判別できないが、ぜび、ぜひという息苦しい彼の声が扉ごしから伝わってくる。
それほどまでに苦しい病なのか…それとも…

『私の執刀すべき管轄ではない人間は受け付けぬ。カルテを受け取っていない人間の診断は見れん。看護婦に睡眠薬と鎮痛剤を助与させる。しばしそれで休息を取り給え。』
『…そんな。身体が、凍えて、今にも震えそうで…い、いや、もう震えて‥苦しいんです‥先生…』
『くどい。
この街の権力者の御曹司だか何だか知らぬが私には関係の無い事だ。病室に戻り給え。』

絶望的な痛みだった。
身体の奥底から酸素を求める締め付けるような泣き声がこだまし、空気を貪るように吸い込む。
『ぐうっ…』
その入り口の手前、ちょうど渡り口の階段から外の窓を見渡せる位置に闇夜の光に照らされるように彼女はいた。
『…たすけて…
苦しい…い、いやだ…こんな…』
視界が霞む。
両目を凝らしてもその彼女の姿は見えない。
だが、その少女の空気を、背景を取り囲む全ての空気が優しく暖かいもののように思えた。
『…目を閉じて。』
『ヒーリングでは、追い付かない体内の内部損傷…私の今の力で治癒できるとしたら…
白銀の癒し手を、使う。
お願い…
持って、私の肉体…』
一瞬の白い光が闇夜の光と交差して季樹の身体を包む。
口からほどばしる強い痛みが、一枚一枚、解けるように拭われていく…
それは優しい光であった。
『どうして、こんな身体に…わからない。
でも、私のまわりに関わるヒトは全て…
だから…』



翌日。
美奈の病室に朝定時の検診に来た看護婦が慌てた口調で何かをまくしたてるように語った。
『信じられない…昨日の患者の青年。
あそこまで内蔵が侵食されて、一日で治るはずがないのに…』
美奈は何か、身体の力を使い果たしたかのように軽く笑みを浮かべながら眠っていた。


そして、季樹の病室。
白い呼吸器のチューブは未だ命をつなぐ糸のように季樹をつなげているが心電図に映る血圧は非常に健康なそれを示していた。
『先生!?』
一足早く病室に辿り着いていた美香を横目に、事情を聞いて駆け付けた唯、紗映、晋子が姿を現した。
美香は事の事情と季樹の状態の安否を三人に伝えた。
南の行方は昨日の病院で少しはちあっただけでその後の行方は見当たらないと美香は晋子に伝えた。
『嫌な予感がする…唯、紗映ちゃん。南を何としても止めなければいけないよ。今のあの子を、ひとりにさせるのは、危険だ…』
『本…
そういえば、本が…』
美香が何かに気付き、晋子に注意をうながす。
『百合の本‥聖書のような厚みをみせたあの本、一週間前からあの子がもっていたわ。あの本が…』
唯が小声で促すように喋る。
『それ、私、由香里も持っていたのを見たことがあります。表紙が薄い桃色で…まさか、あれは…』
唯に紗映が問い掛ける。
『由香里に見せてもらった。少し何か鼻に酸味がかったような刺激をうけた感じがしたの、本からね。』
紗映が眉をひそめ思慮にふける、何か重要な点と点がつながっていく感覚を感じた。
『唯、貴方は体力が許されるなら病室に結界を張って。
今夜…
わかりましたよ。おばさん。』
『私は学園に一度戻ります。
調べものでまとめたいものがあるから。紗映、絶対に危険な真似に迂闊に手を染めないようにね。』
『おばさん、南を探す行方、二人でいきましょう。私の予感が正しければ南はあの聖なる書の出所の源の場所を探しているはず。
もしかしたら、あの洗脳された状態の少女は…

今夜です。
唯、夜になったら私の友達が貴方と合流する。私はやるべきことをおわらせたら夜に戻ってくるね。
そしたら、今度の日曜日に二人で海浜公園のパフェを食べにいこうね。』
それぞれの目的を握り、今四人が動きだした。

『神様…』
唯が制服のブレザーをそっとベッドに置き、純白な祈りを捧げる。


別段なにも変わらないその空間が見えない力に支配されるのを感じる。これで奸なる気配を外気に乗じて一気に把握することができる。
『紗映、貴方に任せるよ。』
二人はそっと病室を後にした。