水無瀬

『緑色の星の…ロザリオ…この街に売っている場所はただ一つしかない…』
『だが、あのロザリオはとっくの昔に生産中止になっていたのだよ。』
『ほう…
興味深いな。』
『親の形見を肌身離さず付けている人間などいくらでもいるだろう。』




『親の…形見なら、ですがね。』







晋子は病室のほとりの窓際で一人、瞑想にふけるかのように微動だにせぬままでいた。
そのほとりには唯がいる。美奈を追い掛けようとした寸前で、美奈に引き止められ止むを得ずその場に立ち尽くしていた。
『南…
今、あんたはどこに…』
晋子の思念は特殊な共鳴を伴い外の風と風をからみつかせて調和する。
『美奈は、あの子は、知っているっていうのかい‥すべての、真実を…
それは、やってくる、悲しみと、絶望に満ちた終局…
美奈は…』

美奈の瞳の奥底に眠るものが、ただ一つの真実だとすれば
この街に降り掛かった数奇な運命の数々もすべて整理はつく。
だが、晋子にはその道程がつかめずにいた。
『南は…
どこにいこうとしたんだろうか…
こんなことになるならば、あの時、siestaで力づくでも南をとめなければならなかったんだよ…
嗚呼、アオイ…あんたは、…』


その時、晋子の脳に直接強い痛みを伴った振動がふりかかった。
『ぐぅっ…!』
隣にいた唯も同じ衝撃を受けた。傍にいた患者の老夫婦や子供たちは怪訝な瞳で二人を見つめていたが…
『唯、あんたも感じたのかい…これは…』
『普通の人には感じない、私たちを狙ってきてるかのような、強い洗脳のような力…
私たちをみてる、誰かが…!』
『ふっ…おめおめとこのまま引き下がれるものかい。』

晋子は唯に一言告げた。
『唯。一旦館に戻ってくる。
館に置いた数珠なら、南の行方も、敵の在処も限りなく近付けるはず…美奈と美香をよろしく頼むよ。
…それと、あの青年の坊やが奇跡的に回復できるのなら…ね。』

晋子は一足早く病院の入り口へ戻った。それと同時に美奈が念次の病室からそっと姿を現した。
『…美奈。』
『顔を。みれない…
イズミの…由香里の顔が…笑った顔が、映ってきそうで…』
『でも、先生。だいじょうぶ…
もう彼は、生命の息吹を取り戻しはじめてるから…だから、…っっ!!』

『…!!』
美奈の微かな異変に気付き美奈に接近するも、一人の医師がそれをさえぎった。
『検診の時間だ。
面会はあとにしてくれ。彼女は患者なんでね…』
その瞳にどこか濁ったよどみを含みもっていた男。
ネームプレートは元から常備していないのかどこにも装着していなかった。
その男はまるで美香を邪魔者のように邪険な視線で凝視する。
『美奈。明日は学園で私は推薦入試試験の適性試験の面接官をやらないといけなくなったの。
明日…また来るわ。
風邪ひかないようにね。』
『さぁ、お引き取り願いますよ。』
普段は杓子定規でな振る舞いにも寛容な美香だったが、この時ばかりは自分の感情をかくしきれずにいたのか、医師の男に一礼もなくその場を後にした。
『先生、また明日ね。』



小さく、全てが純白に整然とまとめられた病室でベッドに横たわり、美奈は医師の男の返事に答えていた。
『身体は痛むかい?』
『その髪止めはほどいたほうがいい。皮膚を司る筋肉に無駄な負担をかけるのはよくない。
髪は真下におろしておくのがいい。美奈。』
『力が正しく働くのは身体が正しい共鳴を発しているからだ。
身体ともに異常な兆候は見受けられていない。
不純で淀んだ生活に必要とされる記憶を肉付けしてしまったがゆえに過去のただしくあるべき姿の記憶を失った。
だがもう平気だろう。



後少しで記憶は徐々に淀んだ渦の中から霞を切り開くがごとく戻ってくる。
美奈、力を乱用するな。
あんな死にかけの患者の粗野な生命、何故おまえがかばいたてる必要がある?』奴の、いや、この場所における治療の行く末など全てこの自分のさじ加減一つなのだからな。


美奈。
ゆっくり記憶を取り戻していけばいい。
瀬名は美奈に睡眠薬を渡す。

美奈はその薬を飲む寸前、あることをつぶやいた。
『丘が、…みえたんですよね。』





『………そうか。』
微かな瀬名の表情の歪みを美奈は知る術もなかった。小一時間後、ひとときの美奈は眠りに就いた。
『…なぜだ。
正しい記憶を取り戻そうとしている。
それとも、それが…それ自体が間違ってはいないのか。
まぁいい。
自分はこの聖なる血さえ頂けるのなら。』
瀬名の左腕が濁った汚水の色素を帯びたように不気味な褐色をみせていた。


『力が満ち足れば…
叶う…願いが…
だから、もっと、血を…』








その夜。
晋子は館に戻るやいなや館の部屋の隅にて異変を察知した。
『…バ、馬鹿な…そんな馬鹿な。数珠が‥』
『お探しものは…これですか?』
突如、晋子の背後にまとわりつくように奇妙な影がそのまま語り掛けてきた。否、それは影ではなく明らかに実体の人間の偶像であった。
『あ、あんた…湊ちゃん、なのかい…今までどこに…』
『バニティ様に楯突く愚かな人たち…
まとめて死んでください。すでに死霊にとりつかれたあの学園内にほいほい乗り込んでいった先生と‥どっちが先に死ぬかしら?
そして貴方たちの切り札となる月島 南はもういない。
うふふふっ…!』
漆黒に輝く数珠を片手に握って、湊は口元に深紅の色彩を滲ませたままほくそ笑む。
『あ、あんたの正体は湊ちゃん、じゃ…
あの子が聞いた話では、湊ちゃんは…もう…』




『……ちっ。あんた、わかってたのね。』

湊が鋭い視線ですくみつけるように晋子を凝視する。次の瞬間、病室で感じたイメージと似た異常なる振動が直接脳に痛みを告げる。

館全体が静かなうめきをこぼしているようにも見えた。
暗やみに紛れ、湊は闇とその姿を同化するように溶け込む。
『うふふっ…あははははっ…!!』