魔女の余裕・1

ひどくその日の夜は寒かった記憶を覚えている。
まるで冬が未だ見ぬ春の訪れを引き止める意志を伝えようとしていたかのようであった。

彼女にどんな内容のメールを返したのは覚えていない。
言葉を選んでいる余裕すらもなかったのであろう。
ただ、その日の夜が絶え間なく降りしきる雨の夜であってほしいと言う事を願った。
悟流は黒色の自らの携帯電話をスーツから取り出す。液晶は何の変哲もない状態で静止している。
最初のメールが来てからは幾分かの時間が経過していた。
そもそも、あの場所で彼女にパンフレットをきちんと渡しただろうか?
彼女はこの場所にこれるのだろうか。無駄に流転する思考の中で不安は過る。

そういえば大学を控えた従妹からはパーティのお土産をねだられていた。全くもって考える事が多すぎる。
正面玄関の入り口を軽く眺める。
夜の闇に薄い灰色のスモッグとネオンが輝く星空を隠している。
都心部に降り注ぐ真冬の寒波は相変わらず厳しい。
『…どうした?
見慣れないビル街に辟易してるのか。』
大元が皮肉を込めてつぶやく。
『まさか。』
『それよりもう人が集まってくる頃だろう。さっさとおとなしく受付は業務にもどりましょうや。』

夜の20時を過ぎると場の雰囲気は最高潮に転化した。どこぞのメディアで見たことのある女優、
また、ある者は愛人とも取れる舞妓を伴侶にしてる者もいた。
『まったく経費の垂れ流しだな。』
『‥おっと。それは禁句なんじゃないんですかね。』

『知ってるだろ。その新聞の通り、うちのバックにいる財閥関連では非常に今難題が起こっている。
財閥の跡取りとなるはずの一人息子がついこの間、変死体になってるって話を小耳にはさんだだろう。
いろんな都市伝説が浮かんでるよ。敵対の派閥による差し金だの、雇われたヒットマンだの。

若い命を無駄に散らすことはあるまいよ。
物騒な世の中になったもんだ。息子さんは本当に気の毒としかいえまい。』
大元は若くして相応の出世しただけに先見の力に長けていた。
『おっと、受付。仕事しなされ。来客さん一名だ。』
受付で大元が悟流に案内を促す。
そこに立っていたのは‥


『こんばんは、ようこそ、‥‥ぁ。』
『‥おまたせ。』

そこには、悟流に目線をあわせたままぽつんと立っている黒髪の少女の姿があった。
純白のワンピースに下は漆黒にシンクロしたスカートを纏っている。
いつもよりそのトレードマークの黒髪に潤いがついているように見えたのは気のせいではなかった。
『…これ、あげます。
やっぱり今日は指輪はつけないほうがいいかな。
それに、悟流さんはこういうちょっと幼い雰囲気を残してたほうが好みでしょう。
まぁ、そんな感じです。』
大元も南のその姿に思わず息を飲んだ。
少女のようで、大人のように。
もしくは、そのどれにも当てはまらない。
だが、白の上着から強く印象付ける大人の女性の肢体の印象と
わずかに残る少女の残り香は見るものを否が応にでも引き付ける。
『いやはや。吉田‥お前、いつの間に?』
『い、いや。ついこの前に交差点で些細なトラブルがあったときに彼女が助けてくれたんだよ…

ま、まぁ、そんな感じで知り合って‥』
『ちょっと適当に中を観させてもらいますねー』
南はするりと入り口の扉を開けて先に進んでいった。
『あの子、いくつなんだ?24にも25にもみえるが、外見からだと10代にも見える‥
背も高いな。
165ぐらいはありそうじゃないか?

最近の若い女性は背やら何やら発育に長けるんだな。うらやましい限りだ。いやはや、いつからそんな好みのタイプを打ち明けるような仲になってんだよ』


『い、いや、俺はそんなこと一言も言った覚えはないんだよ‥』
悟流は困惑の表情を隠せなかった。