ノーザン・スノウ・2

闇夜の静寂に不意に一通の着信が届く。
『…はい。』
相手は、私よ。と一言つぶやいてそれから毎度の癖のようにクスクスと電話口に向けて微かな笑みを覗かせた。
『仕事が早いわね。さすが泣く子も黙る羅刹の名は伊達じゃないわ。黄偉強。
貴方をそばに迎えていたら私も枕を高くして寝られそう。』
『‥ご冗談を。』
『あら、誉めているのよ?』
『現場に尻尾を残す愚弄な輩と、私を同列にか。
私も老いたものだ。
だが、約束の物は確かに。報酬あっての任務。
…願いに少しでも近づくことがかなうなら、この溜飲も下がるというもの。
アンネリーゼ様。しばしこの偉強に時間と猶予を。』
『…そうね。
順番に、そして着実に流れは私の思うままに。
そして黄に、神の御加護があらんことを。』

電話口の声は、終始上機嫌なままであった。






ある日、悟流の元に茗荷から直接の電話があった。
『…茗荷さん?』
電話の着信はまるで何かを急かしているかのような音であった。
『…吉田。言いにくい話だ。‥だが、単刀直入に言う。』
『え?』
『大元が、死んだ…ッ!』
不意に視界が闇に覆われた。
それからの展開はよく覚えていない。
まるで自分のその数日の出来事は他人事のように時間が過ぎて行った。
大元の状態が回復に向かっていたのかそれすらの経緯も知る術はなかった。
それだから故、悲しみと言うよりもむしろ現実を認識出来る所まで自分の意識を持っていくことが出来なかった。
大元の葬儀は会社の合同葬として振る舞われた。
元締となる堀財閥社長の堀社長が式辞の言葉を列ねていた。

厳かだ。
一分の隙もない瞳で故人の遺影を見つめながら式辞の文を読んでいるのが分かる。
オールバックの髪に185はあろうかつ長身で筋肉質の身体。
年令は四十代に差し掛かる筈だと聞いたが、今の自分と比較してみては下手をしたら自分の方が堀社長より老けて見えるのではないだろうか。

しばし意識が朦朧とする。次に己の意識が目覚めたのは聞き覚えのある女性の声に呼ばれた時であった。
『吉田さん!…吉田さん!…吉田さん!!』
『えっ?』
『吉田さん、貴方の番よ。大元さんの、納骨を…』
『納骨‥骨…?骨…なんだ、なんなんだ、骨ってのは‥

骨だって…
うぐ、うわああああ!
何なんだ。この頭蓋骨は!!!』
事の異変に察知した堀が一喝して場の混乱を沈めた。
『仏に向けて何という無礼な振る舞いだ。愚か者め。皆様、失礼いたしました…我が部下がとんだ失態を‥おい、そこの誰か。そいつを待合室にでも連れていくんだ。』
悟流は堀の部下達によってその部屋から退出した。
『…恥曝しが。』


数十分後。
悟流は文の掛け声で目覚めた。
『高田さん。何でここに‥』
文は怪訝な表情にも少しの笑みを混ぜながら悟流の方を向いた。
文は黒の喪服を着ている。妙に整えられた風であった。本人に問いただしたところ、堀財閥の要請で故・大元肇の葬儀用に献花の仕入れを頼まれたらしい。
もっともそれは堀財閥の社長の側近の命令だったらしい。
時間も余り、支度の途中文は葬儀場に佇む悟流をちらりと見た。
あとは、いてもたってもいられなくなっての急な合流と言う形ではあったが。
幸い、最初の献花の支度の手際が良かったせいか式にもすんなりと参加する事が出来た。

『‥色々ありがとう。
あのパーティーの日から気が動転を繰り返して最近はろくに飯も食えてないんだ。
学生時代は飯抜きで仕事したり部活したりするのは無理だったのに。
年をとったんだな。俺は‥』
『ううん。そんなことは‥』

『会社は?』
『きっと来週にはデスクワークごととっぱらわれてるさ。』
『そんな。
吉田さんのいったい何が悪いっていうの。』
『疑わしきべきは黒って言葉があるだろ。それと同じ理屈さ…
仮に限りなくグレーに近い事象があったとしても、自分でその白黒をつけることはできない。
決めるのは、あくまでも自分以外の他者と世界だ。』
『なんでも白黒でかたずけられるものじゃないよ?
それに、灰色を白に認めてもらうことはできるかもしれない。』
『は、ははは‥そうだな。そうだといい、そうだとどんなにいいことか‥』
『‥自分から、もしもを選ぶ必要はないんだよ?』

文の言葉が痛烈に響く。
痛く、しかしどこか優しさが籠もった言葉でもあった。
『会社…に居場所がなくなっても。まだ空いている居場所があったらどうする?』
不意に文がこぼす。
何故か視線はこちらを反らしている。
『どこに?』
『私の右手。』
文が、笑ってつぶやいた。