月燭蝶・4

『明日の天気予報ですが、先日より関東地方に停滞した低気圧により‥』
一人、悟流はTVをつけたままベッドに身体を預けていた。
『財布、買い替えないといけないな‥金はともかく、あれにはツレの文に明日の為に頼んでいた親睦会用の花束の受注書が…
仕方ない。出社する前に明日文の店に顔を出してみるか‥』
どこはかとなく落ち着かない気分に心を乱される。
得てしてこんな日は寝付けないものである。
結局、夜中の二時になってようやく悟流は就寝の床についた。

翌朝。
まだ商店街通り沿いに歩いている人影も疎らな朝の時間に、悟流はスーツ姿で馴染みの花屋を訪れた。
店自体は半分シャッターが閉まっている。だが、その奥に一人、店の商品の花を整理しているエプロン姿の女性の人影が見えた。
『あれっ、吉田さん?
おはようございます。こんな早い時間に出社ですか?大変ですね…』
『あぁ。今日は会社自体は休みですよ。
さすがに残業続きでこのまま休日出勤はきつすぎますから。今日は前頼んでいた例の会社の親睦会で使う花一式を…
で、申し訳ない話なんですが実は…』

エプロン姿の女性はにっこりと軽く笑みを浮かべて悟流の方に向かう。
『ちょうど今日の分の梱包と仕分けが終わったとこです。
お時間があれば、お茶でも用意しますよ。吉田さんにはいつもお世話になってるから。』

文は悟流をこじんまりとした店内の奥の居間に案内した。

時計は朝九時を差している。親睦会の開始は19時から故二時間前には式場に着いていなくてはならない。
それまでにどこかで時間を潰す必要があった。さすがにこの場所で夕方まで暇するわけにはいかない。
『高田さん?』
『この辺にゲームセンターかネットカフェの類はありますかね?
ちょっと夕方まで時間を潰したいもので‥』
『私はかまいませんよ。
今日はそんなに仕入れもないしですしむしろ時間は余りそうな感じですから。吉田さんにお渡しする花束ももう揃えてありますし。』
文は余裕のある表情で答えた。悟流に対する少しの気遣いでもあるのだろう。
だが、そこまで直接的に言われると断る術をみつけるのが難しい。
『ゆっくりしていってくださいね。
何なら、お昼も御用意しますから。』
文はエプロンを着けて店頭に戻った。


二、三時間後。
悟流は居間のTVのニュースの声で目覚めた。
昨夜の無駄な夜更かしのツケがまわってきたのか、居間のソファで寝ていたらしい。
そういえばこんな展開の日は前にもあった。
自分が丁度大学を卒業する直前の話であった。

『…ごめんなさい。』
『私、今年の春に結婚するんです。
だから、吉田さんとは‥ごめんなさい。
私、もっと早く吉田さんと出会ってたら
違った選択肢を選んでいたかも、しれない…
ごめんなさい…』

『…いえ。
すみません。こんな時期に無駄に時間をつくってもらって。
俺はもう行きますね。それじゃ。』

春の桜が薄紅色に舞う季節の終わりの出来事であった。
あれから二年。
別々の街でそれぞれお互いの人生を歩んでいたはずが無碍に二人を再会させた。
伴侶の姿は見えなかった。
それは二年間を生きてきた中で彼女が出した一つの答えなのだろう。

テーブルの上にぽつんとあった灰皿に口紅のついた吸いかけの煙草があった。
放っておけば想いも夢散して消える煙のようになる。人生もまた似たようなものではある。
だから、その煙は行く場所を見失い漂うことになる。
もっとも彼女の学生時代、煙草を吸う仕草をみたことはない悟流には一つの違和感にも似たようなものを感じた。
『高田文様』
その時、テーブルの下に、そう示された一通の封筒が置いてあるのに悟流は気付いた。