魔女の余裕・4

『幸せになるための条件を教えてくれだって?
ならば、過去を気にする必要はあるのかい?』

『…何、いい加減参ってきた?
うふふ。何を言うのかと思えば。

それが現実じゃない。』

周辺の人の気配の察知を怠ることなく、自分の気配を極限にまで落とし込めて電話を取った。

『…はい。』
『私よ。』
『…アンネリーゼ様。』
『状況は?』
『はい。仰せのままに。
全ては万事ですよ。一部の隙も…』
静寂な隙間を縫って通り過ぎる女性の声には幾つかのノイズが交ざっていた。
『そう。よくやったわ。
貴方にしては上出来。
…また夜に連絡する。』
『ちょっと待ってくれよ、約束の報酬は…あ、ちょっ、おいっ!』

電話は途切れた。
単にバツが悪かったのか否かは知る由もない。
思えば、“仕事”の質としては至極単純の類ではあった。だが、単純故に肚を探るのは容易ではない。
彼女から連絡が来たのは一週間前であった。
一通のメールと共に。
強盗や恐喝では到底辿り着けない法外の報酬と引き替えに今回の仕事を引き受けた。
彼女は“アンネリーゼ”と名乗った。

その仕事は、ある場所で行われる秘密裏のパーティに忍び込むこと。
一通の手紙と共に、彼の古びたアパートの郵便入れに一冊の手垢が軽く着いた厚めの書籍が届けられていた。
『仕事の中身は、こいつを読めってことか。』

“アンネリーゼ”から指示されたメールには、一人だけでは足的な意味で行動に支障をきたす故、行動の幅を充足させる意味であと一人の駒を増やせと命じていた。
『…偉を使うか。』

彼は、手駒、否、それは仕事の支障を来さぬように手配されたあらゆる立場での壁として
偉強と名乗る日系中国系の男にコンタクトを取った。
永住権とパスポートの些末的な話で最初は交渉が難航したが、
結果的に金銭と物品の交換で話は収束した。
『さぁて、こっから一人の男の人生の幕が降りる瞬間をみられるぜ…

まさかなぁ、偶然探していた人間がいきなりビンゴだとは夢にも思わなかった。ハッハッハッ!

‥俺は事が動くまでじっくり特等席で観覧させてもらうかなァ…』
けたたましい笑い声が明け方の空を嘲笑うかのように飛びかっていた。








数時間後。
館の窓に降りしきる雨は次第にその勢いを失っていた。
意識は混濁として、まるで泥酔から抜けきれていないかのように頭がふらふらとして軽い頭痛と交錯を交えている。
『う、うう‥』
悟流はゆっくりと自分の身体を起こす。
自分の直前の記憶が思い出せない。
記憶喪失ではない、記憶混濁に近いものであった。
ともかく、今日はパーティも明けて代休である。まずは会社に宴の雑務的な報告をしなくてはならない。そもそも終了後の解散などの手配を誰が行ったのかも気に掛かる。
悟流は一番近い裏口の扉を開けた。
『ようやくお目覚めか。』

突如、見知らぬ若い男の声が背後から聞こえた。
『はい?』

『はいじゃねぇよ。
こちとら非番から駆り出されてこんな都心に放り出されて機嫌が悪いんだよ。
二日酔いから覚めてるんならこれを見ろ、これを。』
『…令‥状‥?』
悟流は睨み付けられた男の視線とその両手に握り締められた一枚の紙の意味がわからなかった。
『まぁこんな宴の場所で立ち話はなんだろう。
一晩中でも聞いてやるよ。せいぜい言い訳を車で考えてな。』
悟流は半ば無理矢理に前方に見える車に連行された。