ノーザン・スノウ・3

喫茶Siesta。
聖夜の鐘がどこからともなく鳴り響く目覚ましい朝の景色を見つめながら、店内では幾人の男女が開店への準備を整えていた。
『体調のほうは大丈夫なのか?
まだ仕事とかできる調子じゃないんだろう。美奈。』片桐が後ろを振り替えるとそこには青華学園の制服姿の上に白色のエプロンを羽織い、店内を拭き掃除している美奈の姿があった。
『いえ。大丈夫ですよ。
もともと体調自体はある時期を境に快方の兆しをみせていましたから。
学校にいるだけじゃ少しだけ息がつまるのも事実ですし、‥それに、あの子がいつでも戻ってこれるように私が少しでも何かできることがあればいいなと思って。』
『そうか‥』
片桐の表情はどこか複雑だった。
『片桐さんも、閉店前にはしきりに窓を見つめる仕草が増えましたね。
…何だかんだいってもやっぱり気にかけているじゃないですか。』
『あぁ、それはわかってる。
ある時を境に、南が、何かに取りつかれたように心を乱してしまったのを。
何となく‥いや、俺にはわかる。
期間こそ晋子といた時期に比べたらとるに足りないものだが、
あいつの気持ちは、‥な。
同じ娘をもっていた頃の所以か。
今にして思うよ。摩梨香にも同じ形で接してやれればよかったのになと思うことが。
今のあいつは、暗い海を漂う遭難船のようなものだ。ただ波に流され、行き先も見つからず翻弄される一つの船。藻屑になって消える前に明かりをともさなければならない。灯台のように。
今必要なのは助け船ではない。正しい道へと誘うともしびなんだ。』

美奈が軽くほほ笑みながら頷いた。
片桐は美奈の夜の予定を尋ねた。
今日の夜は紗映の見舞いに行ってからそのまま家路に向かうらしい。
片桐は軽く含みを込めたような表情でクリスマスイブの予定を美奈に尋ねてみたが、
美奈はただ、笑ってごまかすように返しただけだった。

都心の街角。
街を取り巻くイルミネーションに相まって何時もより人込みの騒々しさが顕著に見て取れる。
誕生と復活の夜。
人々はそれぞれの想いを空へ見つめながら行方を知れず流れていく。
美奈は少し早い足取りでセント・ホスピタリアへと向かった。
‥だが、正面玄関に辿り着いた美奈を待っていたのは松室の予想外の返事であった。
『‥面会謝絶?
そんな。昨日までは…』
松室は最初はインターホンごしに美奈に話し掛けたが事情を掻い摘んで話すには直接語るのが道筋であると悟り、入り口の小さいライトを点けて美奈のもとに姿を現した。
『事情は折り入って話すわ。
今は、あの子は貴方たちに会わせられる状態じゃない。
頃合いを待ってちょうだい。そうしたら‥私から呼ぶから。お願い。
今はあの子のためにも。』
美奈の表情に迷いが走る。だが、松室も混迷の状態なのは顔色を見ずともわかる。
美奈は、カバンからそっと手荷物を松室に渡した。
『紗映に…
落ち着いたら、口にしてくださいと伝えてください。一人で取る食事の淋しさは、私、わかりますから‥』
松室は無言のまま了承して一人、帰路に向かう美奈を見送った。
『………』
松室は右腕に挟んでいたカルテを一瞥する。
『紗映。この子を助けてあげられるには、どうしたら‥
どうしたらいいの…』





聖夜の静寂がやがて十二時の針を示す頃合いに、悟流と文は繁華街の界隈を共に歩いていた。
大元の葬儀は多少の混乱に悩まされながらも文の協力で無事にその幕を閉じることができ、自分として一つの区切りを終えることは出来た。
だが、勿論自分の中で決着の付いていない問題はある。
それは大なり小なりあるが一番の疑問は親友、大元の死であった。
茗荷から聞いた情報の源は確かに悟流を苛ませる内容であった。ただ、それだけでは自分の中で区切りをつけられないことがあまりにも多すぎる。
何よりパーティーのあの最後に、謎の若い男が言っていた言葉も不可解だった。

『考え事?』
文が不意に悟流の顔を覗き込む。
『あ、あぁ。いや別に‥ただ、あまりにこの短い期間でいろんなことが起きすぎたんだ。
だから、ちょっと自分の中でも気持ちの整理がまったくつかないでいて、それで‥』
『そう…ね。
確かにうちにいた時の吉田さんは、疲れて‥いや、そういうのとはまた違った感じでどこか取りつかれていたような窮屈さを感じたもの。
まぁ、私が言えることじゃないのかもね。

私も、独り身の中の環境でお店を切り売りしながらやりとりしていくのはちょっと大変だったかも。

…親友を失ったのはつらいかもしれない。けど、元気をだしてね。吉田さん。
私でよかったら、いつでも相談相手になるから。』
文の表情は柔らかい。
飾らないその一つ一つの言葉が、悟流の心を潤すように平静へと導いた。
『…一人だと、淋しい?』
文がそっと右手を悟流の左手に添える。
その時、悟は背後に凍り付く何者かの視線を感じた。
『うあぁぁぁっ!』



『そう、淋しいから。
淋しいから逃げられない。逃げられないから迷う。

迷うからすがろうとする。
愚かな脆い人の心。
‥見ていられないわ。』

誰の声?
いや、声ではない。
誰かが心のなかに直接刻むように問い掛けている…?

『はぁ、はぁ、はぁ‥
駄目だっ‥
彼女に出会ったあの日から何かがおかしいんだ。
まるで、自分の中が全て覗き込まれているような気さえして

彼女に‥向けられた目線のそれは、まるで自分を哀れむような‥そんなはずはないんだ。
そんな瞳には、みえなかった‥』
『まだ、そんなこと考えてるの‥?
もうやめようよ。
いない人のことを考えても仕方ないわ。だから、落ち着きましょう。』


記憶がまたも混濁する。
文は、ふらつく悟流の身体をそっと抱えてタクシーを呼ぶためにそっと左手を路上に向けた。
『今日は帰りましょう。‥吉田さん。』

吉田の携帯が鳴っているのを文は見つめていたがその着信に気を向ける事無く二人はやがてタクシーへと乗って都心の静寂を抜けた。
『お客さん。今日は‥イブの帰りですか、さぞ楽しい一日だったでしょう』
『気が散るから。今話し掛けないでください。
さっき伝えた場所へ早く。』
文が攻撃的な口調で運転手にそう伝えた。