逢魔が刻・2

闇が目前に迫り、太陽が地平へと沈もうとするその刹那。
『この感じだ…
私があの時に感じた冷たい妖気。

ずっと誰かに凝視されていたかのような感覚。
私はその感覚の微かな跡を辿っていた。

確信はないけど…でも…』

秘めたる想いの在処の先に待ち受けていた未曾有の夜。
だが、二人の客人はこの黒髪の姫君を丁重に歓迎する空気では全く無かった。
『類い稀なる偶然とはいつの時も人の心を弾ませる。俺は今非常に機嫌がいい。さて、ここまでは俺の筋書き通りの展開。
突然、物語には麗しき姫君の出現により風雲急を迎える…
悪くない。実に悪くない。』
『冗舌だ。
目的を掠めるな。地場。』吉田達の背後に佇む壮年の黒服の男が眼前の若い男に嗜めるように呟いた。
『地場…
その名字、何処かで聞いたことがある…
それも、堀財閥と何か密接していた関係の場所で‥
あのパーティーか‥?』
『ご明答。
もっともお宅に俺の身の上を話す義理などないがね。
これでも立派なパーティーの来客の一人だよ。あんたは自分の主賓側の人間ばかり気をとられていたせいで末端のこの俺のような存在を見落としていたね。
まぁその拙いミスキャストが結果的に俺には有利に働いた。礼を言うよ。』

『お前達が、大元を殺したのか?』

『まさか。
喉から手が出る程探しているユリの聖書のありかを見つけられないままに手がかりを消してどうする。
どんた誤算だよ。
まぁあれは金の成る木だ。金の為なら一人二人の殺生など問題はしないんだろうがな。』
静かな問答は続いた。


『欲望とは人を忠実に導くものだ。
この俺の願いを叶える為なら、手段など選んではいられないさ。』

地場はじりじりと滲み寄るようにその間合いを吉田の方へと近付けていく。
『さて‥と。
誰かさんが書いてそうなつまんない三流のつまらない恋愛ドラマはこのへんで終わりにして
ここからは、他人が恐怖と絶望に怯える話にしよう。
演じてくれるんだろ?
君たちが‥ね。
おっと、間違っても逃げようなんて考えはあきらめてくれ。
ここに黄がいる以上。
あんたたちにはそのわずかな脱出の望みすらない。
警察‥?大声‥?無駄だよ。
あんたたちより何よりも先に黄の斬撃が君たちの喉笛を掻き切るに違いない。
だが、俺は男の悲鳴には興味がない。
そこにいる彼女は、いい女優になってくれそうだ。』
不意に吉田は背後にいる南にチラっと視線を向ける。最悪の事態が頭を過る。
自分が何もかもから曖昧に現実をごまかしてきた全てのつけは、今最悪の厄災となって降り掛かろうとしていた。
だが、せめて彼女の安全だけは…

『月島さん…』

吉田は思考を深く張り巡らす。
ユリの聖書…
堀財閥…
これは、彼女に強い因果を残す言葉であることは疑いが無かった。

そして、狙った舞台の演出のように仕組まれた親友、大元肇の死。
地場は確かに自分が手を下してはいないとは言った。だが、それが事実である保証などどこにもない。

ふと前から気付いた一つの仮想は、彼女はこの二つの単語の掴むべき先に目的がある。
自分は、その為の手段でしかないのだ。
だが、それを厭うような感情は無かった。自分が漠然と他人にかかわれなかった心の弱さを少しでも変えることができるなら、それは今を置いて他ならなかったからである。

『‥‥悟流。』

突然、背後から誰かの声が波のようにリフレインのようにざわめきを促すかのように響いた。
だが、その声の音には地場も黄という男も反応をしていなかった。


南の右手が、悟流の左手を寄り添うように繋いでいた。
だが、若干の違和感を感じる。
まるでこの右手から南の心の中の声が浮き彫りにされていくような感覚を悟流は感じた。

『月島さん…?』
『話し掛けないで。

…私は今貴方の心の中に直接この私の声を聞かせている。

こうでもしないと…
私がうかつに貴方に脱出を匂わせるような発言をしたらそれこそ二人は次の瞬間に鱠切りよ。
だから、今はここから無傷で姿を眩ますことを考えるの。
お互いの目的の為にね。』
南の視線はむしろ前方の若い男ではなく背後の冷たい妖気を放ったような壮年の男であった。
『分が悪いものね…
相手の力量を推し量れないというのは…今が雨ならまた状況も変わったかもしれないけど…

私が、あの若い地場って男に不意に近づいて隙を誘うから。
私の背後をたどるように走って、私を追い抜くように駆け抜けて…
それだけでいい。
後から私も悟流と合流するわ。』

一瞬だがその手段はあまりにも無謀とも呼べる逃避手段であった。
彼女は、肌で黄という男の違和感を感じ取ったのであろうか。いずれにせよ現実が絶望的状況であることには変わりは無い。
『わかった。
君の…言うとおりにしよう。』


次の瞬間、間髪いれずに南は悟流の手を離し地場へと駆けた。
『何‥‥っ!』