想いの在処

翌朝、悟流は不意に目覚めた。
自宅のテレビがつけっぱなしになっていた。たまたま映っていたその時間帯のニュースで大元の怪死に連なる情報提供の訴えをキャスター同士で議論していた。
ブラウン管の先の事件の話なのに、まるで現実は浮ついた一つの雲のようにつかみどころのない曖昧な何かに侵食されていた。
『大元は‥
最後に俺にいったい何を伝えようとしたんだ‥それさえ、わかれば少しでも‥』

携帯を覗くと一通のメールがきていた。
文からであった。
昨夜は憔悴気味の悟流を自宅にタクシーまで送り、自分もまた翌朝の花の仕入れの為に悟流を降ろしてからすぐに自宅に戻ったらしい。
あまり、無理をしないようにしてくださいね。と文章の締めに記されてあった。
『大元の会社のデスク、もしくは‥』
悟流が何かを予感して部屋の扉を開けた。





例のパーティー会場には未だ幾らかの捜査の人員がたむろしていた。
『病院は…?あぁ、そうか。特に証拠は何もなしか。わかった。いい。折り入ってこちらから連絡する。』茗荷刑事の力強い声が車内の無線ごしに伝播した。
捜査の為に何人か手配した部下を休ませ自分は一人会場を闊歩しながら捜索を続けていた。
自分がここにきて、あくまで“足”を頼りにすることには自分の信念がある。

『ん‥あそこにいるのは誰だ?さっきまであんなところに人影はなかったはずだが‥』


茗荷が不信感を抱きつつそっと奥に足を運ぶ。
『そこの君。関係者以外ここは立入禁止だ、何の野次馬目当てかしらないがさっさとここから離れるんだ。』
『‥‥‥』
少女はその声にゆらりと反応して立ち上がった。
一瞬の瞳が交錯する。まじまじと自分を見つめてくる瞳に茗荷は一瞬のたじろぎを隠せなかった。
『ん、‥おたくは前にここで行われたパーティーにいた‥』
茗荷のパーティーの名簿リストから顔を思い出させる。確かに記憶は曖昧だったが微かに残ってはいた。
潤いと艶を秘めた漆黒の黒髪に光にゆらめいて輝く薄青い黒い眼を抱いた一人の少女の名を。
『月島‥
聞いた覚えが確かにある。その昔、11年前に起きたあの不慮の事故‥パーティーの火災と、そして‥』
『よくそんな昔話を知っているのね。物好きな人。』
『…くっ。』
彼女の痛い心の古傷であったのだろうか。時期早計にこんな話から切り出すのはあまりにも短絡そのものであった。
それよりも、彼女に対しての第一印象がパーティーの顔写真とはあまりにも似ても似つかない雰囲気を醸し出していた。
『いや、すまなかったな。愚にもつかない話を切り出してしまって。
ただ、ちょっと自分の中で知っている像と差を感じたものだからな‥』
『‥‥‥』
とりとめのない話で場をつなごうとするが、南は一向に聞いてすらいない。
茗荷に気付かれてばつの悪さを感じたのか、南はそそくさとその場所を立ち去ろうとしていた。
『おいおい、どうしたんだ?まだ何か気に障るような事を言ったのか?』
南は振り向きざまに語りかける。
『調べてるんでしょ?
パーティーをメチャクチャにした犯人のこと。』
『あぁ、‥そうだ。だが君にいったい何がわかる?
こっちは捜査一つとっても大変な労力を磨耗しているんだ。
ようやく、パーティーの終盤において主賓側の吉田が何者かに屋上で暴行未遂を受けたことまで辿り着いたばかりなんだからな‥』

『‥そんなところしか見てないから、わかるはずないのよ。ヒトの‥想いの在処なんて。』

南は吐き捨てるように呟いて一人、入り口の巨大な扉をゆっくりと開けて外へと帰っていった。
『何なんだ…
人の想いの、在処だと‥?』


南は、歩道の外の信号を待ちながら一人想いに耽る。一人、ただひとり想うことはしごく単純で明快である。だが故に、想いは定まらない。
『季樹君…

今、私は貴方に、なんて言えばいいのか‥わからない‥わからないの‥』

ただそれだけの単一なる思考のシナプス。だが、報われなかった想いの無念を晴らそうとすると、躍起な心は優しさを失い壊れた冷たさにただ飲み込まれてその輝きを失う。
全ては噛み合わない歯車ではあった。だが、残された自分の力が、自らを或る方向へと導いていく様子はわかる。

『‥‥‥』
携帯を開くと今日も不在着信履歴が残っていた。
店の電話。つまり片桐からであった。

毎回同じ時間。決まってその時間は夜、siestaの閉店時刻であった。
いつもそこには浮かぶ光景。
もし、不意に帰ることがあれば片桐はいつも自分の好きな銘柄のコーヒーを煎れてくれて待っているのであろうか。

『‥‥‥?』
その時、まるで南を呼ぶような新たな着信が液晶に入り込んだ。
悟流であった。