帰ってきた男

秋の終わりを告げる冷たい風が何時にも増して厳しい。
一人、誰もいない図書室にて美香は調べ物をしていた。
青華祭の事件から早二週間が経とうとしていた。人々はさまざまな噂を学園内で流し続けた。
教師と生徒の歪んだ関係、教師側の外界からの重圧、生徒側の内面的思考の閉塞から来る過度の精神失調。
伊達の過去を知る古参の教師は後にこう語る。
『教え子を、守れなかった報い‥
彼はいつまでもつぐえない悲しみに苛まされていたのかもしれない。』
美香は小一時間の捜索の末、伊達の新任時代の経過をたどる記事を見つけた。
当時の生徒会会報であった。
『新任講師‥伊達一真。当時25才。
11年前
彼が受け持ったクラスの中の生徒の一人にとある女生徒がいた。その生徒は登校拒否を繰り返し、それを苦に入退院を繰り返す。
だが、その彼女は幼少期に悪性の心臓疾患を煩い17才の時点で余命は2年もたないとされていた。
その時代の医療においては病気を根絶する術がなく、彼女はただ死を待つのみとされていた。
伊達教諭は、彼女に残された時間をつかって必死に学校への登校を促すが‥
事態は最悪の結末を迎える。』
『彼女の葬儀の後、伊達は失意の内に青華学院に辞表届を提出し、気付かぬうちに失踪する。』
その11年の空白の最中、伊達が何に師事していたのかは知る術もない。ただ、彼がその空白期間の間虚栄の塔とコンタクトを取っていたことはほぼ揺るぎない事実と化した。
『だとすると、彼の目的は…』

美香は何かを思い浮べつつ、晋子に連絡した。幸い仕事前の夕方、晋子にはすぐに繋がった。
『なんだって‥?』
晋子の声色が一層にくぐもるのが受話器ごしからもはっきりと分かる。
『ん、分かった。美香。できればその会報、コピーして夜にでも私の館のほうにも持ってきてもらえるかね?』
『‥了解。』
美香は受話器を切り、髪止めを外して化粧室に向かった。
『…ふぅ。』
書類をしらみつぶしに探して汚れた爪先を軽く洗う。その最中にふと思う。
自分がこうしている現実と過去をつなぐもの。
過去に残した悲しい思い出は未だ消化されず残り香のように燻って自分の心の中に渦巻いたままとなっていた。

それをいつか解かなければ前には進めないということもわかっていた。
『先生!』
化粧室から出た時、ふとばったり唯と藍里の二人にばったりと出くわした。
『下校の途中?
あと、この前はごめんなさいね。何か用?』
唯はどこかばつが悪そうな表情をしたが、一瞬の間と共に表情を元に戻した。
『先生。市川君を朝みませんでしたか?』

市川‥
その名字に美香の表情が一瞬硬くこわばった。
藍里が唯の後押しをするように言葉を続ける。
『ずっと、この一ヵ月間行方を経っていたじゃないですか。それで今朝登校する姿を他の生徒にみられてたんですよ。
もっとも、授業中はどこにいたのかわからないですけど‥』
『どうして、そんな‥』
『ざわめきを、感じます‥先生。気をつけて。また何かよくないことが起こる前ぶれだったとしたら…』
美香は唯に軽く笑ってうながした。
『ありがとう。気を使ってくれて。
先生は荷物を整理して今日は帰るわ。貴方たちも気をつけてね。』

その数分後、美香は職員室へと戻る。
ふと、自分の教卓を見渡す。そこにあったはずの会報がいつのまにか跡形も無く消え去っていた。
『これは…』
何者かの気配がする。
まるで血を求めて止まない冷たい牙を持った獣のような気配が場を蹂躙していた。