追憶は皮肉な雨と共に

夏の終わり、瞳を閉じたら蘇る色褪せた微かの記憶。それが、もし彼女の過去と現在をつなぐ光のように導かれると言うのなら‥

彼女はどこから現われて、そして、どこにむかおうとしているのだろうか。
不意に襲った偽りない感情。
叶うのなら、ずっとこのまま二人で共有する時間を保ったままで‥
このままで‥

『学校は?』
『さっきも話したとおりなんだ。
神永の一件があってから、全然行ってない。
両親にも、身内にも愛想を尽かされる始末さ。
辛うじてお情けで母方の家に居候させてもらっているけどね。
思えばあの事故からおかしくなったのかもしれない。』
渓は去年に未里市に編入した際、青華学院の特待生の推薦入試を受ける予定であった。
だが、原付二輪を運転中、突然の不慮の事故の巻き添えを食らい入試を断念せざるを得なくなってしまった。
幼なじみの槙絵が一般入試で合格発表を聞かされる前日の出来事であった。
額と右手に重い傷を負い一般入試を断念。特待生の奨学金の話も全て白紙に戻らされた。
もともと経済的に余裕のない一色家の都合の身の上、この不慮の事変は身内にとって少なからずの波紋を呼んだ。
そして、その三日後、近隣界隈で何かと評判のよくない悪童、神永と窃盗、傷害未遂を働く。
結果この一件は神永の身内にとある組織の力が絡み事無きを得た。
その後分かった話では神永は虚栄の塔の信者であり信仰の教条に従って窃盗行為に身を染めたとされる。
渓には神永の最後の一言が気になった。
『この街にいるんだ‥秩序を、摂理を、変える鍵の存在が…だから…!』
いわゆる現状に不満を抱く者、何らかの癒し、救いと言った理念を求め、乞い願う者に信仰は一先ずの安堵を与える。
神永はまるで何か見えない力に支配されるような瞳をもって目的を遂行しようとしていた。
『どこまで、貴様は負け犬なんだ‥』
『‥‥!!』
管轄署を抜けた時に待っていた父はまるで自分を蔑むように強く卑しい瞳で渓を凝視していた。
この夜、失意の内に渓はあてもなく都内のネオン街を徘徊する。
幼なじみからの電話にも、旧友からの言葉にも体がまったく反応しない。
失意の底に移ろう一人の青年を嘲るように降りしきる皮肉な雨。
だが、彼にとっては瞳に巣食う涙をごまかしてくれるものだと信じてそれを甘んじてその身に受けていた。
『負け犬め‥負け犬め…負け犬め…………!!!』

歩道橋の上から純白の傘にその身を隠し、一人の青年をまるで見守るように見つめる黒髪の少女。
背景に流れ濯ぐ雨を背に、二人の物語は始まる。



『右手、まだ痛む?』
『あ、うん。さすがに一年たってるし、もう普通に日常生活には支障はないぐらいだと思う。
後遺症みたいなのもないし‥とりあえずは‥』
美奈はその言葉を聞くと微かな安堵を見せたかのような頬笑みを見せた。
『あっ。そうか、ごめんね話がずれちゃった。私の話か‥』

所々未だ脳裏に帰らない記憶の断片を除くと美奈の意識は明瞭ではあった。
『力の、目覚め…』
確か、いつの日だったかは定かに覚えてはいないものの
強い痛みに涙を流し、痛みをこらえていた少年を自分が救った記憶がある。
『‥そう、あの時は、一年前…?確か、そうだったと思う…』
そして断片的に思い浮かぶ過去のビジョン。
母親を病気で失い、父親は生物学の権威として生命体とそれに連なる因果関係を研究していた。
一人、何日も研究室にこもる時も多く父の研究室に自分が作ったお弁当を持って行った記憶がある。
『お母さんが早くしてなくなったのは、生来から持っていた治癒の力の因果関係に左右されるって‥』
一瞬、渓の瞳に不安がよぎる。その話をまるで今そこにいる美奈にたとえようとする錯覚にも似ていた。
『…君も、また孤独、なんだね。』
『そうだねぇ‥そうなるのかなぁ‥』
この数時間後、新宿駅のホームで二人すれ違った時から渓が美奈の姿を拝めることはなかった。
あの始まりの雨と似た雨が頬を涙の代わりに染め、二人の物語は続く。