美奈、夜の幕間に

夜が一層更け、都心のビルのネオンが際どく輝く中セント・ホスピタリアの廊下が不意に賑わう。
『…また外出?無断で?しょうがない子ね。あの子は本当に‥』
だがテラスで一人煙草を吹かす担当医の松室の表情はどこか不思議と平静とした笑みさえ浮かべるように明るい。
『峠は越えたんだからもう平気よ。
それに、心の靄は病室にいては晴れないものよ。
まぁ、私から言い聞かせておくわ。』

『心なんて、いらないんじゃなかったの‥?』
『そんなことは‥ない。』心の奥からまるでもう一人の私がささやきかけるように、言葉を発す。
『‥怯えているの?』
『私は怯えてなんか、いないっ!』


不意に迫る圧迫。
締め付けられそうな胸の痛み。
まるでそれは己の能力の代償となるかのように強い痛みを伴い美奈の身体を徐々に苦しめて行く。
『誰かの優しさをもらえないと、生きて行けないようにできてるのかな‥
それを弱いと言うたった一言でかたずけてしまうのは簡単なんだけど…』
『不器用なんだ。
美奈。僕は他人に心から笑えたことがないんだ。
臆病で、嫉妬深くて、疑い深くて、力もない。
でも、何かを理詰めで考えているうちに自分は他人と違うんだと言う意識を強く働かせてしまう。
そして、誰かを傷つけてしまう。

そして、その人を大切だと思った時にはもう僕の前からいなくなっているんだ。
くだらないよね…こんな話。』
『想う人を、ずっと自分のそばにいてほしいと願うこと…
叶うようで、叶わない願い…か…』
雨の街角で、いつか渓と美奈が交わした一つの何気ない会話だった。
『美奈。
君は僕と出会う前はどんな人生を歩んできたの?』
『そっか、君にそんな身の上の話なんてしたことなかったものね。
ちょっと長くなっちゃうよ。まだうろ覚えだし。』
渓はうつむきながら、それでも微かな笑みを懸命に美奈に向けていた。