とこしえの記憶・1

カツ、カツと冷たいヒールの音が校舎の廊下を静かに響く中、
伊達は一人、職員室の窓から外の光景を眺めていた。
『由香里‥能力者に、あいつに対抗するには、おまえの力が‥』
伊達は眉を潜めて背広の懐にしまってあった煙草を吹かす。
一息煙を吹いた視線の先に、由香里の姿が見えた。

『先生…
この私と一緒のクラスの生徒の、あの女は…』
『そうか、君も感じたのか。
これまで気にも止めていなかった存在が、突然、我々の障害となりえることは多々ある。
きっと、あの女もそうなのだろうな…

『だがそれも全ては、バニティ様の大いなる意志の為に…!』
由香里がふりむくと伊達がそっと由香里にある書物を手渡した。
『これは?』
『私と君をユートピアへ導く為の最後の仕上げとなる言葉だよ…
さぁ、由香里。屋上へ行くんだ。

私はここにいる。何かあったらすぐくるんだ。いいね…?』
由香里は一人、はいと頷くと古びた書物を片手に屋上にあがった。そこはちょうど聖堂を真下に俯瞰できる位置となるべき場所であった。

由香里は軽く深呼吸をする。そしてそっと書物の冒頭に示された言葉を音読した。
『我は願う…』









『我は願う。永久の過去よりいでし迷い導かれる魂よ…
今我の元に宿り、その力をふるうべく出でい。
この力をふるくべく、雨と共に…
汝が敵は、我が敵なり‥!』
その時、聖堂の地下から螺旋階段をつたって校舎側にたどり着いた南と美奈が異変を感じた。特に南は両肩をぴくりと震わせ、頂上に今起こらんとする異変を感じ取っていた。

『南‥これは、何?今私の身体の中を物凄い悪寒のようなものが駆け巡ったの‥』
南は表情を歪めてつぶやく。

『校舎の屋上にとてつもない魔力が収束してる‥
誰かが、魔力を注入された魔導書を詠唱してるのよ!いけない、早く止めないと大変な‥ことに…!』
『そんな…』
二人は一抹の不安を奥にしまい屋上への階段を昇った。
『鍵が…!』
美奈が必死に屋上の扉をあけようと両手を使い力を込めるが、一向に扉は堅い鋼の重石のように美奈の脆弱な力ではびくともしなかった。
邪気はさらに勢いを加速させ青華学院内全体を包む勢いと化していた。



『無駄だよ。その扉はバニティ様から授かった呪符の力が込められている。
…いいぞ。
これだけの邪気に満たされた箇所なら一気にエネルギーを手に入れることもできる。フッ…!』



『‥バシュッ!!』
一瞬、轟く雷鳴にも似た振動が辺りを包んだ。
それは詠唱の終了を意味する合図でもあった。
『させない!
…させないから!』
轟音と同時に扉の奥から冷たい凍気が結晶となって扉に塊と降り注いだ。
『私が、…止める!
この先にいるのは、もしかして‥由香里…あなたなの…』
南がそっと掌をかざし力を込めると凍気の塊が扉に込められていた呪縛を粉々に粉砕した。
南はそのまま扉を開け屋上へと駆けた。
『由香里っ!』
由香里の手はまるで見えない恐怖に打ち拉がれたように震え顔は蒼白とした表情のまま天井のない空をみつめていた。

由香里の床下にはちりぢりとなって焼き尽くされたようにばらまかれた書物の残骸が煤のように散らばっていた。
『先生は…せんせいは、ユートピアを作ってくれると約束した‥それなのに、こんな、とりかえしのつかない‥こと‥先生‥どこにいるの‥?』

ユートピアか‥それは、望むべくして作りえぬまるでまやかしのようなものなんだ。
だが、自分と君だったらどうだろう。
もしかしたら、作りえなかった何かがつくれるのではないかと思うのだよ。
なぁ、由香里。』

『教師と生徒という肩書きに意味はない。
いや、人と人が共和を望むべき幸せに外装というものがいかに無益であろうか。私がこの目でみたものが全て真実。』
『‥由香里っ!』
意識の深層が外界と断絶される直前、由香里は真に暖かい声をその耳に受け取ったような気がした。
『聖堂の中に、さっきの詠唱で込められた邪気が‥
そして、わかったわ。この青華祭を操り自らの欲望を遂行させようとする男の正体が。美奈。由香里を連れて聖堂に戻って!
美香の元に!』

『わかった。‥えっ?』
『その必要はないよ。』
一瞬の沈黙と共に天井の彼方からまるで伝うように刻まれた邪気を込めた凶刃が美奈の腹部をえぐり取るようにかすめた。



『うぐっ‥!!』
美奈はその場に吐血し由香里と共にかぶさるように昏倒した。
漆黒の衣を纏った南が背後を鋭い眼光で振り返る。
そこに現われたのは背広姿で含んだ笑みを浮かべた伊達一真の姿であった。
『彼女がいないと、肉体の回復は叶うまい。

『……??』
『だが、私はどうやら幸運の女神に愛されているのだろうね、
目指す目的の為に近づいた場所に、その目的そのものをみつけられたのだから‥そして、私に残された仕事は、用済みの役者。月島南。君を、消すことだ。』
『その人ならぬ氷の魔力、この私につかってみるがいい…
私を、このWALD LITTERの一人、伊達一真を殺せるのならな…』
伊達がまるで南に敬意を払ったように左手を差し伸べ軽く会釈を整えた。
『バニティ様。私に力を‥!』
またもや轟音が辺りを錯乱させ、床は不気味な振動を見せる。
そして、由香里が望んだ魔力がまるで伊達の肉体に還元されるように伊達の肉体が奇妙な変化を遂げる。
その顔立ちは暗く濁った瘴気に包まれ瞳は紅い眼光を放ち、悪魔の体裁を放っていた。
『由香里を、美奈を‥
許さない!』
一方、南の瞳にも悪しき何かに憑かれたかのように冷たい眼光を放ち尋常でない気を周囲に放ちはじめる。
静寂の均衡を破るべく南が伊達に向かって詠唱を始める。
『動かないで…
一瞬で苦しめずに、殺してあげるから…!』

南の瞳が碧く光り、覇気を込めた魔力が場を支配する。
その一瞬で伊達の身体に変化が生じ、まるで心臓を鷲掴みにされたような痛みが伊達を襲った。
『ぐあぁあっ!』
悪魔の瞳が苦痛に歪む。 
南は薄ら笑いを浮かべて右手を伊達にかざし力を念じた。
と、その瞬間、南の右手をさえぎるように憔悴した力なき手が南を止めた。
『……!』