縁起

『すなわち縁起とは、因縁生起とも呼び、他から縁となって生じるものから関与する一般的事象のことを…』
『一般に縁起は悪いイメージに結び付けられやすい。だが、かならずしもその解釈は正しいとはいえない。』
『世界全体の調和もまた、一つの縁起の背景による帰結ともいえる。』
翌日の午後、伊達の授業が何時もと変わらぬ様子で行われていた。
伊達の授業は過去に学んだ思想学を素養としており、世間一般の歴史の授業とは角度の異なる特徴を放っていた。
そして、午後の授業の定刻のチャイムが鳴り響いた。

『明日は週末の青華祭の準備の為私も作業に駆り出されることになった。よって明日の授業は休講とする。次回は個人的な題材になるが、私が興味をかねがね抱いていたテーマについて解説していきたい。
それでは、本日はこれまで。
近況、街をよからぬ噂が賑わしているが学生の本分は勉学だ。つまらぬ寄り道をせず、まっすぐ家路を急ぐように。』


『はぁ…疲れた。まったくなによこの話。小難しすぎてついていけないっての。こんなこと高校生には何の役にもたたないわよ。
‥ねぇ、唯?』
南が机に頬杖をつきながらため息をついた。唯は半分あきれ顔で南のほうをみつめる。
『まぁまぁ、理解できるできないは別として、こうゆう授業もいいんじゃないかな?
私は嫌いじゃないけど。』唯がたしなめようとしていた矢先、一人の少女が南と唯の間をそっとつぶやきながら横切った。
『そんなので、いいの?
自分が理解できないことを知ろうとしないのは、人としての放棄よ。

日和見な考え方で将来を生きるのは難しいというのに。』

その少女、須藤由香里は冷たい目線で南を一瞥しそのまま去った。
『なによ…あれ。どんな厭味よ、まったく。』
『須藤さんね。中学からのエスカレート組だよ、確か。
夏期の模擬試験も私が11番目だったのに、彼女は春期から一番をとりつづけてる。
近場の予備校でも数年稀に見る秀才だって噂よ。』
『行間にさりげなく厭味を感じるのは気のせい…?唯。もう、秀才は秀才同士なかよくすれば?しらない。』
南は軽くふくれた顔つきでそそくさと鞄を持って教室を出て行ってしまった。
『ちょっと、南…!』








放課後、職員室に伊達の姿があるのを確認してそっと扉を開ける一人の少女の姿があった。
『君は‥須藤君か。
どうした?捜し物かい?』
知的で誠実な男性は実際の年令より若々しく見えると言われる。伊達もまたその例に漏れなかった。
三十代前半と思われる容姿だが髪型は清潔な黒髪で整えており、十年前だとしたら非のうちどころのない好青年と取られても不思議ではなかった。
『勉強ばかりだと、君のような子でも息がつまるものかな?』
『えっ‥?』
不意に、伊達が由香里に微笑む。
『いや、正直不安だったんでね。まぁなんと言うか、学生時代もひたすらガチガチに学問一つで食ってきた有様だからな、まわりからは堅苦しい男とさぞ思われてるんじゃないかってな…前の学校も結構にして疎まれたものだよ。ははは。』
『先生…
私は、もっと先生のお話が聞きたいです。』
『そうか、そう言ってもらえると教師冥利に尽きるよ。ありがとう。須藤君。』
『はい‥』
普段は教室でも露にも笑わない由香里が普段にみせない笑みをこぼしていた。

『そういえば、先生の一番興味をもっているテーマって、何なんですか?』
伊達は少しうつむいて角度を落として、呟いた。
『たとえば、この世にユートピアを作り得るかという命題…
汚れを浄化した世界。
何というのだろう。言葉では表現しづらいものがあるな。』



ユートピア…?』
『そう、まぁそれはあくまでもののたとえに過ぎない訳だが。例えば、大切な人と世界をいつまでも共有することといったほうがいいのかな。須藤君、君には大切な人はいるのかい?
意中の人?とか‥』
『いません。
いるはずがないわ。』

由香里の激しい拒絶に伊達が戸惑いを隠せずにいた。『同世代の男の子は日和見な価値観の人ばかり、将来を見据える力もない。そんな人たちと私が話すことなんて何もないですから。』『ふむ、まぁそれもまた一理だ。
将来について深く自分の力で考えることは有意義なことだ。それには賛同を惜しまない。
だが、もし明日世界が滅亡してしまったらなんとする?』
今度は手のひらを返されるように由香里の表情が困惑した。
『そんな…非現実的過ぎます。そんなことは‥』



『確かに非現実的だ。だが、それ故に世界は物事に絶対は無いものであると我々に常に知らしめてくれる。
この私ですら無知なんだ。須藤君。
君が気に病むことはない。お喋りが過ぎたな。申し訳なかった。』
『いえ‥私のほうこそ感情的になってしまって、すみませんでした。失礼します。』




『真実を知ろうとする心か‥
あるいは、彼女がもっとも近い存在なのやもしれぬ。』