時の狩人・2

『裏切られる想いなら始めからなかったことにしてしまえばいい。
心の痛みを引きずって生き続けるというのか?
この手を取れ。
‥お前には力がある。
お前を傷つけた愚劣な輩に狂気の刄を。』


夢だ。
願わくば、あの時からの出来事全てが夢であってほしい。
残酷な現実だけが蝕むようにイズミの心を浸食する中、ひとり物思いに耽る。
『…でもね。
許すことをあきらめたらもうそれは意志の放棄でしかないような気がするの。
…母さんが生きていたなら、きっと私にこう言ってた…』
美奈は、ひとりベッドの傍でイズミの話に耳を傾けていた。
『許すことって、大事だよね…?』
美奈は、微笑みながら頷いた。
『これも…もう必要ないね。なんだろう、一つ一つをふりかえったら今までの私がすごくちっぽけに見える…
ねぇ、美奈、こんな私は変かな‥?』
『そんなことはないよ。』美奈は意志を込めた瞳で断定する。
次の瞬間、イズミは、そっと懐から取り出した糸を投げるように窓から放り投げた。
『これで、元に戻れる…私も…
いつかあの人が戻ってきた時に、笑っていられるようになれたら、いいな。』
心の機微。
それも全てあの日記が、母の言葉が思い出させてくれたことであった。
きっと、自分がいなくなったとしても我が娘が一人でいつか成長できる時が来た時の為に…
そんな想いが込められていたような気がした。
その1週間は周囲を驚かせるほどにイズミの回復力は目を見張るものがあった。美香の計らいで来週の週明けから青華学院にも再び登校できる見通しもたったらしい。


そして、イズミの誕生日の当日。
場所は海が見える海岸通りのレストランにて美香、南、唯、藍里の4人でささやかな誕生日パーティーが行われた。
美奈はイズミの誕生日の為に花を用意していたらしく、到着があと1時間ほど遅れるらしいとの連絡が美香の元に入った。
『すごいねぇ、この街にこんなこ洒落たお店があったなんてびっくり。』
『もともと海岸沿いの街だからね。色々なルートを辿って地方から銘酒とかも入ってくるらしいからね。』南と唯の会話を尻目にイズミは窓を眺めただうつむいていた。南と唯の会話に付いていけないのか、どこか相づちもよそよそしい。
自ら会話を避けているようにも見えなくもない。
唯は気遣ってその辺りの雰囲気を察してはいたが、南は若干居心地が悪そうな表情であった。
イズミのそばにいた藍里がそっとイズミをたしなめようとする。
『まぁそこは大目に見てあげて。
緊張が解けていないのもあるのかもしれないし、…ね。』
店の閉店時間をシェフに伝えられた頃、3人は美奈が予定の時刻を大幅に遅れていることを懸念していた。イズミの表情はなおも好転しない。もしかしたら、美奈がこの場所にきてくれないのではないかと言う不安さえ浮かぶ。
美香が美奈の携帯電話に連絡を繋ぐ、だが、電話先は無情に圏外のアナウンスを告げるだけであった。
『この時間になったらもう花屋しまってるわよね…』『まさか…』
南の脳裏に不安が浮かぶ。だが、事の異変に気付きいち早く行動を起こしたのはイズミであった。まるで何かに駆り出されるようにイズミは店を飛び出し、夜の静寂を駈けていく。
『イズミ…っ!』
少しして南がイズミの跡を追った。






『病院に寄ったから遅れちゃった…どうして、いつものことならこんな時期に発作が起こるなんてことはなかったのに…』
時刻に遅れた美奈が病院前でタクシーを拾って一足違いで海岸沿いの道路へと足を運ぼうとしていた。
『…な、なんだこれは…うわああああっ!』
『きゃぁっ!』
突然、タクシーの運転手が何かを避けるようにハンドルを切った。
人影のようなものが一瞬美奈の前後を横切る。しかしそれらは車のフラッシュにかき消されるように消えた。
幸いガードレールの寸前の所で車は止まり、美奈はことなきを得た。
美奈は、ここで降ろしてもらうように告げた。片手でイズミの為に用意された献花を持って美奈は海岸通りへと走った。





            『どうして‥貴方が、また…?』
『確実に息の根を止めたと思っていたのに、まさかヒーリングの能力を持つ人間がこの街にいたとは誤算だった。
だが、我々には強い精神力を持った人間の存在が必要なのだ…
こうゆう誤算は大歓迎だよ。なぁ、イズミ?』
『あなた…
いえ、もう聞くことはない。
私のお母さんを殺したのは、貴方だったのね。
牧村琳可!』
闇に佇む男の姿は牧村であった。
日記にしおりのように挟んであった一枚の写真は悠梨と牧村の姿を映していた。悠梨が謎の横死を遂げたあと失意のうちに、イズミの父親も後を追うように死んだ。
そして、伸の存在…
『知っていたのだろう、イズミ。君が本当は山室伸と悠梨の娘だったということをね。
悠梨の精神力は限界に近づいていた。
結果、狂気を司る武器を操ることはかなわなかった。だが君はちがう。
やつへの狂った愛情と憎悪が精神力を昂ぶらせ、白銀の糸を操るまでに至っている…
まだわからないのか?
自分が、選ばれし人間だということに…』
『私は、憎むことの愚かさをようやく知ったの。
お母さんはそれでも、私が生まれたことを間違ってはいないと言ってくれた。
伯父さん、いや、父さんもほんの少しの心の違えにすぎなかったということ。
だから、もう私の前から消えてください。
もう憎みは…しない。』

『愚かな…
伸は悠梨の魂を復活させる為にこの俺に忠誠を誓ったのだ…!
イズミ、おまえが望む世界はもうこの場所には、存在しえないのだよ…』
『なぜ…
なぜ、そこまで墜ちようと思うの…』
牧村が狂気を帯びた瞳でイズミに強襲する。
次の瞬間、まるでイズミに導かれたようにさまよい出た白銀の糸が牧村の五体を幾重の刄となって無慈悲に切り裂く。
力と意志が現実となって一つになったとき、そこに鮮血を流しながら野良犬のように横たわった牧村の身体があった。