血塗られた糸を解く

あの出来事から約一週間が過ぎようとしていた。
伸は、まるで一週間前までの行動、言動が嘘のように籠の中にいる一人娘を愛でるようにイズミに優しく振る舞っていた。程なくして学校に行き始めたイズミにたいして気遣ったり、心配をするかのような言葉遣い。
『…学校、どうだった?』『怪我はなかったか?』
その言葉に含む思慮がどれほどのものであるか、その時のイズミは深く考えはしなかった。
半分は、現実に対する諦めの気持ちから叔父をこれ以上責め追いやるのはやめてしまおうかとも思った。
イズミには、伸がただ哀れに見えたのだろうか?
どちらにせよ、叔父に対する憎悪は不可思議な形で霧の中に溶け込むように消え去ろうとしていた。
 
『ガラッ…』
夕方に差し掛かる頃、イズミ帰路を歩き終え自宅のドアを開けた。
『もう、かえってたの。』
『ああ…もうすぐ、俺、仕事が決まりそうなんだよ。それが軌道に乗ればイズミ、おまえにももうちょっと裕福な家に住まわせてやることだってできる。
こんな狭いマンションはいやだろう?な?イズミ?』

どこからこんな言葉が心の中から出てくるのだろう。イズミは思う。
『…イズミ。』
イズミは、口を軽く歪ませながら靴を脱いで自分の部屋に戻ろうとする。が、その両足をまるで掴み掛かるように伸の両手が握り締めて離さない。
『…父さん。』
スッとイズミがその名を呼ぶと、伸はするりと両手の力を抜きまるで芋虫のように地面をはいつくばって自分のソファへと戻っていった。
『…仕事。何をする気なの?ろくにこの10年間働いたことなんてないのに。』
『ビラ配りだよ。そんなに肉体的な仕事じゃない。 病み上がりの俺にだって…これくらいは。な?
もう明日から始めるんだ。…給料がでたら、なぁ、イズミ。一緒にうまいものでも食いにいこう。…な?』
『…ありがとう。』
イズミは一言言い残して、部屋の扉を開けた。






『ゴソゴソ…』
夜中、イズミが就寝の床についているとなにやら隣の部屋から物音が聞こえた。伸だろうか?
伸はたった1時間前に仕事から戻ってきたばかりだというのに。
イズミは、恐る恐る扉を開いた。
そこには、伸の姿があった。だが伸の様子は何時にも増しておかしい。まるで何かにとりつかれているかのように身を震わせ、口からぼやくように言葉を発している。
そして床には、大量のビラとわずかに覗く血痕があった。
『あなた…何をしようとしたの?
それに…この、ビラ…虚栄の…塔!? なんで…』

『悠梨が、自殺なんてするはずがなかったんだ!…自殺なんて…自殺なんてぇっ!!』
『お父さんっ!』
イズミが叫ぶ。
悠梨…イズミの母親の名前である。
しかし、自殺? その言葉は初めてイズミが聞いた言葉だった。事故…事故だと聞いたはずだったのに。
『悠梨…
おまえは、自殺なんて…!』
伸がここまで自我を失ったのは初めてであった。
自殺…その聞き慣れぬ言葉と無造作に散らばっているビラがイズミに不信感をつのらせる。
『悠梨がおかしくなっていったのは、あの冬からだった。
やがてくる、鍵の役割…自分が果たさなければならないかもしれないとただうわごとのようにぼやいていた。日増しに訳のわからない事を悠梨は言い始め、急に狂ったように言い始めるんだ。
力が…力が、たぎると。
奴だ…奴が悠梨の前にあらわれた…から、すべてがくるった!!!!』
『事故死…死んだはずが…なぜ…あいつはいきてる…そんな…ことが…』
『お父さんっ!』
イズミが叫ぶ、その叫びに何か見えざる力が共鳴するようにその場を包む。
気がついたら、伸はイズミの両膝に倒れ伏していた。『ぁぁ…う…ゆ…うり…う』
もしかしたら、彼は本当に母さんのことを。
そう、信じていいのだろうか。
この数日、あまりにも不可思議なことに包まれた小さな世界の中で。
ただ、イズミは虚ろに眺めていた。

伸はただ、亡き悠梨に私の面影をみていただけだったのか、それとも…
…to be continued.