糸を解く

『イズミ…貴方…何やってるの!イズミ!』
甲高い悲鳴にも似た少女の声が闇に響いた。
『イズミっ!』
『紗映…なんでもないのよ。何でも…』
にやりとした含みを込めた表情でイズミは笑う。まるで観念しきった殺人犯の心のように、イズミの右手にはわずかほどの力も込められていなかった。
『…ごめんなさい…
ごめんなさい…ごめんなさい…お母さん…!!!』
突然、イズミがその場に打ち崩れるように膝をがくりと落とし、泣き喚いた。
紗映は痛ましささえ漂うイズミにそっと近づこうとする。だが、それを伸の太い右腕が遮った。
『うちの娘に…
何か、用ですかな…?』


図抜けている。
この野獣のように汚れた心の中になぜここまでの冷静さが同居できるのか。
紗映に、伸を理解するには早すぎた…と言えるのだろうか。 いや、到底理解できようはずがないのだ。
『イズミ…っ!』
イズミは答えない。
伸は、そっとイズミの手を取り紗映に冷たい眼差しを向けた。
まるで…この狭い一つの小さな世界に伸とイズミ、二人きりしかいないように定められようとしていた。


『イズミ…』
イズミの短い黒髪を愛でるように伸が撫でる。

『俺には、お前だけなんだ。
なぁ、信じてくれ…
お前に否定されたら、俺は…』
イズミの左頬に血の滲んだ新しい痣が浮かび上がっていた。不思議とこの男を憎むことさえ、それに近い感情さえもう湧かなかった。


あるのは、ただ強い…  哀れみ。
『矛盾してると思わない…?
自分にとってもっともかけがえのない存在を手にいれなかったからとして、まがいものを本物だと刷り込ませて、哀しく生きていくことしかできないなんて。』
『イズミ…』

『教えてよ。
あなたにとっての、思い出は、何…?』

『殺したの…?
本当に、私の…本当に…?私の、お母さん…』


伸は答えられなかった。ベッドにしみ込む程の冷たい汗が背中を伝う。
イズミは、そっと憂いを込めた眼差しで伸を見つめていた。
…to be continued.