満ちたりしもの

いつから、こんな能力(ちから)が身についてしまったのだろう。
予兆は、激しくむせぶような息苦しさと吐き気だった。
頭が痛い。
割れるように痛い。
どうして、
こんなに、つらいの…



『…お姉ちゃん?』
見知らぬ一人の少女が、美奈に話し掛ける。
『………』
〜思い出せない。
私は、大切な何かを忘れている気がする。
遠い日に失った何かを。
そして、能力。
『…まだ、あきらめられない』
〜ありがとう。
美奈は、少女にそういい残して去った。


闇に紛れて何ものかが蠢く鳴動のような音。
おまけに、今夜はにわか雨とはとてもとれない程の激しい雨。
未だ自分が捜し出すべきことの皆目がつかないまま、ただ時間だけが無益に過ぎていこうとしていた。
『…誰かの、気配。』
見知った匂いがする。
きっと、彼なのだろう。
でも、もうこの街から能力者が消え去ったら、私も消えなくてはいけない。
その目的だけを遂行して、私は、いなくなるべきなんだ。美奈は、そう言い聞かせた。

海岸通りの道の外れ。美奈はそこに足を踏み入れていた。まるでその場所に誘い込まれるように。
『…美奈ッ!』
『……』
『風邪、ひいちゃうよ?』『いや…っ』
『…美奈?』
不意に迫りくる拒絶。
渓は、あの日の傘を右手にさしたまま、美奈をただじっと見つめる。
『渓…わたしが…』怯えにも似た声が聞こえた。


『力を、おさえられなくて…』
『あの時、でも、美奈は自分を助けてくれたんだよね?
わかってる…美奈の手はすごく暖かった。
まるで自分がばらばらに壊れてしまいそうな意識の中で…美奈が、助けてくれた。』
『…よかった。』
美奈は、安心しきったようにがっくりと膝をコンクリートに落としてしまう。自分で起きれるのかどうかはさだかではないが、この雨の中至る所を歩き回ったのか美奈の靴はかなり汚れてすり減っていた。
『…美奈!』
たった一人を正常に戻すのにここまでの体力と精神力を消耗するなんて。
能力者とは、なんと過酷な定めなのだろう…
渓は、美奈にそっと話しかける。

『今度は、その治癒の力を、君自身にむけるようにすれば…』
『だめ…それは、できない…この力は、自分以外の他者にしか使えない…しかも、使えば使うほど、私の……は…』

『美奈、帰ろう。』
ひとまずこの場を離れるしかない。常人からみても美奈の体調の変化はあきらかだった。
『…美奈。』
申し訳なさで心がいっぱいになる。と、同時に美奈がいかに自分の心のよりしろになっていたかを再確認できた瞬間でもあった。

美奈は、そっと渓に肩をあずけながら歩いていた。幸い意識の混濁はなく軽いめまいにちかいものと肉体的疲労にとどまっている。

『渓、わたしはね…』
美奈が、そっと何かを渓にささやきかけようとした、その時、何か見えない衝撃音とともに美奈の身体が大きく弾き飛ばされた。
『……!』
『が、はっ…』
渓は、一瞬なにがおこったのかさえわからなかった。先程の衝撃はあきらかに美奈を狙ったもので自分は軽く転び雨に濡れたアスファルトに足を滑らせただけで済んだが、自分の手元にねっとりとつく血が雨にまざって、渓に拭えない恐怖を与えた。
『この日をまっていたのよ。雨。
私の力が最も高まるこの雨の日を。
まさか、他の能力者と離れて行動してただなんて、美奈、あなたはちょっと軽率すぎてたわね。』
…少女の声?
しかも、制服は、あれは美奈と、同じ服の…

(制裁)
『き、君は…』

『…ごめんなさい。あなたまで殺すつもりじゃなかったんだけど、
この能力を見られてしまった以上、生かしておけなくなかったの…』
『ま、まゆみ…真弓…ッ!』
いつもはおとなしいはずだった、黒髪のか細い少女が今、雨に濡れた瞳とむき出しの殺意で美奈と渓を睨みつけていた。
『…あ、あなたは…知っていたのね。私が能力者だってことを…だから…』
『仕留めないといけないのよ…あの子にかかわるもの、すべてを…』
知っている…?
真弓は、美奈の記憶の喪失の内訳を。
『どう?素敵な能力でしょ?自分の力をこの日なら思い切り発揮できるの。水滴が見えない刄になって、ジワジワと深い傷を植え付けていく。美奈、あなたはもう私のこの力から逃げられない。』
『おまけに自分でその傷を治せないあなたの出来損ないの能力じゃ…ね』
『…神永を、けしかけたのも、あなたたのね。』
『…あくまで美奈、あなただけを炙り出すだけだったのに、あいつは余計な事をした。だから、二度と動けないようにしてあげたわ。』
真弓の言葉に恐怖が宿る。もはや正気ではない…だとしても、彼女の平静の奥に宿る殺意の渦が二人をとらえ初めていた。
『それじゃ、…死んで。』
『くっ!』
『美奈っ!』
美奈に向けられた雫の刄が鋭い切り口を付けた。
最初の一撃が致命傷に近い手傷になってしまったのか、美奈はコンクリートに横たわっまま動こうとしなかった。

『…力が、おさえられないのは、なぜ…』
『しぶといね
友達だった建前いっそのことひと思いに死んでほしかったのに。』
身体に痺れをともなった激痛が走る。このままでは次の真弓の一撃をかわしきれない。
『美奈、逃げて…逃げるんだ…美奈ッ!』
ゆらりと、美奈が立ち上がる。渓の言葉は聞き取れていないようだ。その表情は、濡れて垂れ下がった前髪に隠れて見えない。
『………』
『…今度は手加減しない。さよなら。』
その瞬間、真弓の精神力から放たれた致命的な雫の刄が美奈にむかって放たれた。
しかし、刄は虚しく虚空をきり、美奈はその場からまるで姿を消したように消失した。そして、次の瞬間、何か言霊の詠唱のようなスペルとともに、地下から強烈な白い光が噴き出した。『…闇の、黙示禄…』





『…ぐ、ふっ…』
それは、魔術…いや、それすら判別できない謎めいた精神力による能力…


『はぁ、はぁ…』
決着は一瞬だった。

『…まさか、ここまで、なんて…あぁ…迂闊だった…もっと早く、力をおさえつけることが、できたなら…だ、だけど。』
『黙示禄…
その力…命…ながくは、もたないわ…きっと…ぐ、ふっ…』
真弓も、能力に、操られていたのだろうか、今となってはそれを知る術もなかった。

美奈は、その場からまるで石のように動こうとしなかった。意識はある、しかし…
『…美奈。』
そっと、渓は美奈を抱き抱えて満身創痍のまま雨の中を歩きだした。
…to be continued