恵みの雨・1

『不意に訪れる雨。
その雨は、誰の為に降るものなのか。

やがて冬が終われば、全ては安楽へと導かれる。

悲しいな。
神は、未だ終末を望んでいないということか。
暗黒と凶滅のディストラクション…

今宵こそは、等しく我が願いが叶うことを祈る。』



それは、誰かの夢だった。遠い景色。傍にいる友。
全ては懐かしかった光景の断片。
だが、あくまで過去の破片にすぎない記憶の一部は瞳を閉じたらすぐに消滅するたわいのないものであった。
『紗映、おはよう。
昨日はよく眠れた?』
ふと前方に視線を移すと、紗映は見慣れた制服姿の存在を目のあたりにした。
この頃の美奈はいつにも増して献身的だった。
自分に対して、それは救えなかった友達への罪滅ぼしともいえなくもない。

『えぇ。
昨日は本当に眠れたわ。
嘘みたい。今日は天気も晴れないからまた昼間からは下にある広場で、子供たちと一緒に…』
『そうね。
子供用の小さな楽器、あれを紗映が見てあげられるようになって
すっかりここの人気者になっちゃったね。』
『ずっと一人だったから‥教わってきたことも、色々なことも。

正直、まだ戸惑いはあるけどね。』

美奈は、担任の北織から朝電話を受けた。
何でも今朝は担当する教員が風邪かそれに因んだ体調不良が原因で
午前中はほぼ授業は形骸化しているらしい。
早ければ昼からにでもセント・ホスピタリアに向かえるからよろしくとのこと。
『着替えたら、じゃあ1Fに行きましょう。』

『えぇ。』
その前にちょっと髪を整えてくると言って紗映は病室を後にした。
『‥?あれは‥?』
美奈は、紗映の病室の引き出しにある薬に目が止まった。

『痛み止め?
しかもこれは、抗癌剤‥常用の数倍の‥
しかも、7日分だというのに、1錠も手をつけていないなんて‥
紗映の病状は、ほんとは‥』


美奈は、担当医の松室に以前に二度、そのことについて問い詰めたことがある。
『紗映の病状?‥』

一度は煙にまかれたようにはぐらかされた。
二度目はそれとなく聞いてみた。強い意志を込めた瞳をぶつけて。
やがて、泳いでいた松室の視線が美奈に向けられる。
『そう‥
何でもお見通しなのね。』
『私以外でもわかりますよ。あれは。

単なる外傷の悪化という次元ではないです。』

松室はようやく重い口を開いた。
『“予後不良”とだけ、今は言っておくわ。
彼女に両親はいないんでしょう。
保護者役が誰かいるのなら、その場で語ることは厭わない。

でも、今私の口から全てを言うのは時期尚早。
私からは、すべからく時期が来たら話すから。
信じて。』

『‥わかりました。』

だが、もはやあの薬の量が語らずとも真実を暗に告げている。

悪性腫瘍。
もしくは、それに似た何か。

『お前は俺と同じ死に方を‥いや、もっとだ、もっと悲惨な末路を辿ることに‥』

聞きたくない誰かの言葉。受け入れがたい現実。
だから、自分が護ろうとしたいと願う。

現実を強く変えたいと願うただ一つの心。

『死なせない‥
紗映は絶対‥私が護る‥』

美奈は、そっと病室を後にした。