黒い断頭台・1

外の風が強く、冷たさを増して美奈に染み付くように差し込む。
美奈は、声にならない悲鳴の行方を辿ってその足を早めていた。
『声…ううん、私ならわかる…
イズミは、あの場所に…』

外に浮かぶ景色に目も暮れることもなく、美奈は昨日イズミと二人で話したある時間を思い起こしていた。『美奈…』
つぶやくイズミの瞳はどこが寂しさを帯びていた。
『私は、許せるのかな… 父さんのこと。』
美奈は、イズミをかくまったその日にイズミから全ての事実を聞いていた。
イズミが何故藍里や他の知己に話せなかったことを美奈に話せたのかは自分でも定かではなかった。
ただ、今自分の眼前にいる美奈の存在が、かけがえのない一人の存在のようにも思えた。
『いつか私、どこか、父さんと二人で暮らせたらいいなと思う。
誰かを失った悲しみを一人の娘である私で埋め合わせようとしたのなら、
もし、私の母さんだったら、きっと、許せるんじゃないかって思う…
この怪我が治ったら、私、父さんを探す…それで…』

イズミは、純粋故の不器用さを持ち合わせていた。
誰かを失ったことで新たに生まれる溝があるというのなら、どこかでその心の形に折り合いをつけて生きていかなければならないというのだろう。
『イズミ…もう本当はお父さんのこと、許してるよ。
間違った過去は、生き続けてさえいれば、やがて幸せを、幸せな未来を作り直すことだってできるから‥』
美奈は笑顔でイズミにそう語り掛ける。
『さぁ、早く今日は寝よう、明日はイズミの誕生日の為に先生とお店に朝からいかなくちゃ…』

気付いたときには美奈のほうが先に寝てしまっていた。
イズミは一人ベッドの中で目蓋を閉じて寝付こうとした。それでも一度飛んでしまった睡魔はなかなかそう戻るものではない。
『…あれは、美奈のカバン?あんなとこにかけちゃってるから横に落ちてる…』
イズミはベッドから立ち上がり美奈のカバンを元の位置に帰そうとした。
そこに、美奈の手帳に挟まれた一枚の写真があった。イズミは思わず写真に手をかける。
『これは…』

そこには、教会のような場所の入り口で神父と数名の男女で映っている美奈の写真があった。
美奈の横には壮年の男が映っている。
『お父さん…か。』




そして、美奈は目的の場所へと辿り着いた。屋上への扉は鍵はかかっていない。
人の騒めく様子はすでにみられない。だが、美奈にはその奥からたどるイズミの気配をかすかに感じ取っていた。
『…イズミ!無事でいて!…イズミ!』
美奈は、そっと扉に手をかける。
ふいに、すぅっと冷たいとも熱いともとれない風が吹きこぼれた。
美奈の瞳に焼き映ったのは、薄紅色の花をベッドに己の血でなおも花を赤く染めた中で眠るように横たわるイズミの姿であった。
金縛りにあったように美奈の身体が静かな恐怖に震える。だが、恐れにくじくことなく、イズミに向かって美奈は歩みだした。
『そんな…誰に、こんな…』
美奈がイズミのすぐそばにまで近づくとその存在に反応するようにイズミの右手がぴくぴくと小さい反応を見せた。
『イズミ…!』
美奈は、迷わずイズミの手をとり瞳を閉じてヒーリングに力を使うべく瞑想を始めた。
だが、イズミの息は既に致命的に薄く、美奈の術力を受け入れる触媒とはなりえない状態にまでなっていた。
『そんな…確かに同じ人間に続けてかけるヒーリングは効果は薄いけど…
私の力が、弱まってる…?イズミ、イズミっ!』

『美奈…?はぁ、はぁ…
一度でも、殺めようとした私の醜い心が、あったから、父さんは私を受け入れてくれなかった…
本当は、淋しかった…
どういう形でもいいから、ほんとうのお父さんに、私を、好きになってもらいたかった…
でも、最後に、美奈はわたしの心を、理解してくれた‥から‥がふっ…!』
『貴方‥その能力は、‥もたない、もう…だから、私の力を…』
『最後に貴方の為に、貴方を救う為に、この命を使えるなら、私は、悔いはないわ…』
イズミが白銀の糸をつかみ、血塗れの手で握り締める。その手からこぼれ落ちた術者の力が共鳴するように美奈に降り注がれた。
『…どうして、あなただけが…ひとりでぇっ!』
夜の闇に美奈の悲しみにむせぶ声が響く。
そして美奈は背後から異質の殺気のようなものを感じ取った。
不意に身体をすっと背後にそらす。
そこにはイズミを仕留めた金属の刄を握り締めた凶気に支配された伸の姿があった。
『貴方が…イズミを…なぜ…!』
『バニティ様がそうおっしゃってくれたのだ。
仮初めの命の術法を使えば生きるもののコトワリをかえる力が生まれる。
そのためには高い精神力を持った人間の生贄が必要なのだ。
これで、悠梨に会える‥ようやくな。ククク…だが、この光景を見られた以上、お前には死んでもらう。
…死ね。』
美奈に向けて凶刃の刄が風邪を切って突き抜ける。だが、その瞬間、扉の向こうから一直線に轟音を伴ってふりがされる細鎖の衝撃が刄をはじき飛ばした。
『先生っ!』
美香が疾風のような早さで扉を駆け抜け、金属の刄を振り落とした。
眼前のイズミの惨状を横目に、その鎖を暗器に変えて伸にけしかけた。
『邪魔をするなぁっ!』

伸が自らの身体で美香に突進しようとする、だが、美香の放った細鎖が伸の足をからめ、伸は自我を忘れ叫びながら勢い余ってフェンスの外へ身を踊らせた。
『ああああっっっ!』


美香は、少しの間を置いてイズミにその手をさしむけた。だが、イズミの身体から息吹が蘇ることは既に無かった。